★平川祐弘の「大江批判」を笑う。

ちょっと古い記事だが、「大江健三郎報道」をめぐる記事の中で、「平川祐弘」に関するこんな記事を見つけた(以下に引用)。日本の論壇やジャーナリズムには、大江健三郎が左翼的言動をする作家だからという理由からか、大江健三郎という作家の作品や才能・資質までを、物知らずというか、無教養と言うか、単純素朴に否定し、批判・罵倒する人が少なくないが、大江健三郎の文学をまったく理解できないらしい、この「平川祐弘」というのは、未だに生きているか死んでいるかわからないが、元東大教授で、比較文学かなんかの専門家だった人だろう。昔から、その名前はよく知っているが、もちろん本も何冊か持っているが、それにしても文学の専門家が、裏でこんなことを平然と言っているとは!!! ついでに「クライン孝子のお友達」で有名な小堀桂一郎という世間知らずの比較文学者を加えれば、いいお笑いコンビとなるわけだが、それにしても小堀とか平川とか、まったく政治思想や政治的発言などとは無縁な、貧相な二流学者の一人だと、三島由紀夫江藤淳が活躍していた当時は思っていたものだが、ひそかにこんなことを考えていたのか、と思うと感慨無量というわけだ。そして、三島由紀夫江藤淳がいなくなった今、鬼のいぬまの何とやらで、右翼・保守派の重鎮面して(笑)、東京裁判史観批判だかなんだか知らないが、突然、右翼的・保守派的な政治的発言を繰り返すようになり、ついでにほぼ同世代の大江や大江文学を、半ば嫉妬と羨望からとはいえ、批判・罵倒しし、『裸の王様―大江健三郎』という論文……」まで書いていたとは、いやはや、まことに結構なことで、是非とも、その全文を読んでみたいものだが、むろん、「論文」などではあるまい。くだらない雑文に決まっている。大江健三郎や大江文学を、文芸誌などで、正面から堂々と批判し、文壇や論壇を賑わわせたのは江藤淳だが、それ故に逆に江藤淳は、文壇の良識派(?)から激しく批判・罵倒されたわけだが、小堀桂一郎平川祐弘等に、文芸誌でも、同じ内容で、堂々と書く勇気があったら、少しは見直してもいいが、小堀桂一郎平川祐弘は、とてもそんなタマじゃないだろう。保守論壇保守系ジャーナリズムの片隅で、コソコソと動き回り、自分の気に入らない物書きを見つけると、ジャーナリズムから追放しようと企んで、密かに雑誌の編集者達に圧力をかけ、「アイツは戦後の日教組教育の悪い影響を受けているからダメだ……」とかなんとか、妄想100パーセントのイチャモンをつけて回る小心翼々たる「ヘタレ保守」「ヘタレ右翼」の部類だろう。むろん、左翼作家の大江健三郎を、政治的に、また思想的に批判・罵倒するのが悪いと言いたいわけではない。ただ、そんなネット右翼レベルの知的レベルで、ノーベル賞まで受賞している、我が国の文学を代表する「世界的文豪」への批判・罵倒を可能だと思っているらしいことが、まさしく、思想的にも、文学的にも、愚鈍で、低レベルだと言いたいだけである。大江健三郎批判や大江文学批判をやるなら徹底してやってみろ、と言いたいが、それだけの勇気も根性も、そして才能も資質もないだろう。いやしくもノーベル賞を受賞した作家やその作品を、凡庸な「政治イデオロギー」でしか批判できない平川って、東大教授か比較文学者か知らないが、いったい、今まで、何でメシを食って来たというのか。文学は政治の下僕か。陰口しかたたけないヘタレ保守のくせに……。ともあれ、三島由紀夫江藤淳が活躍した時代の「右翼」や「保守」の思想的レベルや文学的レベルを知っている小生のような者には、昨今の右翼・保守陣営の思想的劣化、文学的劣化は、見るも無残なものであり、哀れとしか言いようがない。自称「右翼論客」、自称「保守思想家」の小生が(笑)、左翼作家の大江健三郎を応援したくなる理由もお分かりだろう。政治思想や政治的立場はどうであれ、文学的に、そして思想的に、あるいは学問的に、大江健三郎を読んでいる方が、はるかに勉強になるのだ。僕が、無能を絵に描いたような小堀桂一郎平川祐弘等のテクストを無視して、文学的才能と資質に恵まれた大江健三郎のテクストと真剣に向き合うのは、いわゆる「日教組教育」(笑)なんかのせいではない。







平川祐弘大江健三郎批判?

テーミス』 2007年6月号
<社会・文化>  大江健三郎の「傲り」にいま批判噴出!

沖縄戦の集団自決は日本軍の命令ではなかった――という高校教科書の検定結果が出たが、このことでノーベル賞作家・大江健三郎に対する批判が高まっている。大江の『沖縄ノート』はすでに51刷を数え、現在も記述を変更しないが、これが許されるのか!?大江を野放しにする出版社もおかしい。
http://www.e-themis.net/new/index_0706.php

 文芸評論家で元東大教授の平川祐弘氏はかつて「裸の王様―大江健三郎」という論文を書いたことがある。氏が講演を終えたあと、講演を熱心に聞いていた聴衆のひとりが「私は大江を何度も読んだが、全くわからない。無知なのでしょうか」と真面目に聞きにきたという。平川氏は「大江の読者はそれをいいたがらないが、あなたの感想は正しい」と断言したという。