存在論的政治家論――解散・総選挙を恐れる政治家に政治家の資格なし。

山崎行太郎インタビュー


―― 政治の劣化に対し、国民の間にはもはや諦めの感情すら流れているようだ。なぜこのような政治空白状況が生み出されたのか。
山崎 まず私は、政治家という存在をそれなりに高く評価しているという前提で話をしたい。だから「政治家に物申す」とか「政治家を叱る」とかいう類の、上から目線の政治家批判のスタイルが嫌いだ。政治家は「選挙」という、生きるか死ぬかの命がけの実存的選択と洗礼を受けている。衆議院の場合、少なくとも四年目には次の選挙がある。現役有利とはいえ、そこで落選、失職するものは少なくない。政治家は落選すればタダの人になる。つまり生き残るのはそんなに多くない。政治家は職業としてみれば、決して楽な職業ではない。それなりに安定した職業であるサラリーマンや公務員、あるいはジャーナリストや評論家とは異なる。
さて、最近の日本の政治家について言うならば、政治家そのものの質が低下しているために、必然的に政治も劣化したということだ。その原因はいろいろあるだろうが、政治家が選挙を恐れて、解散総選挙から逃げ回るようになったことが大きい。つまり国会議員の質が低下したのは、代表する者(政治家)と代表される者(国民)との間に乖離が生じたためだ。すなわち、現在の国会議員は、有権者・国民の声を吸い上げ、代弁・代行するということが不可能になっている。議員たちは漠然と「国民の代表」ということになっているが、実のところ、誰の代表でもなくなっている。
 この現象は、実は民主党政権下において初めて生じたものではなく、小泉政権下の郵政解散にその根源がある。政治家はそれぞれの地域、利益団体の利害を代表して選挙に臨むというのが代表民主制の基本だ。ところが、郵政解散においては郵政民営化というただ一つの争点で衆議院選挙を行った。たいした選挙運動もしないままに当選してしまったという政治家も少なくなかった。つまり郵政民営化に賛成というだけで当選したのが小泉チルドレンだった。小泉チルドレンというのは、本会議で郵政民営化に賛成票を投じるためだけに選ばれた国会議員であり、有権者の様々な思いや要求を代表してはいなかった。誰の代表でもなかったのだ。彼らが解散総選挙を恐れるのは当然だろう。
 国会議員というのは、その身分を維持しているだけで年間約一億円の収入がある。郵政民営化を達成してしまえば、チルドレンの役目は終わり、あとは「余生」を過ごすだけだ。バッジを胸につけてごろごろしていれば黙っていても年一億の収入がある。現代の生涯平均年収が二億円強だというから、四年間任期を全うできれば、一生分以上の蓄えができる。これほど楽でおいしい仕事はない。彼らの全精力は、いかに任期ギリギリまで議員でいられるか、すなわち、いかにして解散総選挙を回避するかということに集中する。このため、党執行部の命ずるままに党の政策に賛成票を投じるだけの、政治家としての意志のない賛成票投票マシーンと化した。
 地盤もなく、確固とした後援会も持たないのに政治家になってしまった議員は、次の選挙では負けることが分かっている。だから、いかに衆参でねじれが生じようが、全力で解散総選挙を遅らせようとする。自民党末期、麻生政権下ですぐに行われるはずだった解散がずるずると引き伸ばされたのは、こうしたチルドレンたちが一日でも長く議席にとどまり、一銭でも多く稼ごうとあがいた結果だ。
 有権者にしてみれば、郵政については信任を与えたとはいえ、そのほかの政策について全権委任したという意識はない。ところが自民党は、衆議院の優越を濫用して、次々に国民の理解を得られていない政策を押し通していった。こうして、政治不信というよりも、政治への諦めが生まれたのだ。
 民主党への政権交代も、郵政解散とまったく同じ構造だった。「政権交代」だけが問題であり、「政権交代」への賛成反対投票が行われ、その結果、小泉チルドレンの代わりに小沢チルドレンが生まれ、やはり彼らもまた、誰の代表でもない、からっぽの政治家だ。しかも政権交代を実現した時点で、彼らはその目的を達成した。いわば、衆議院議員として誕生したと同時にその存在意義を失ったのだ。この後、自民党時代とまったく同じことが繰り返されている。すなわち、次の選挙で落選が確実であると身にしみて理解している議員たちは、一日でも長く議席にとどまり、蓄財に励もうとしているわけだ。そしてそのためには党執行部に刃向かうなどとんでもない、唯々諾々と党の決定に従うだけなのだ。党内で権力闘争が起きれば、不安気にどちらにつけば自分の命が助かるか様子を伺い、優勢な陣営に雪崩を打って馳せ参じて門前市をなすがごとき有様だ。職業政治家といえば聞こえはいいが、正確に言えばアルバイト政治家だ。本会議場で起立するだけの簡単なお仕事で、しかもその報酬は日給30万円というわけだ。
 念の為に言っておくが、国会議員の報酬が高い、という問題を話しているのではない。むしろ、真面目に政治活動をしていれば年一億でも足りないぐらいだろう。「井戸塀」という言葉があるように、真剣に政治を志せば財産などあっというまになくなり、井戸と塀ぐらいしか残らないものなのだ。問題は、次の選挙で落選することを受け入れている、政治家としての目標を持たない、ニヒリズムの政治家というものが生まれたことにある。
―― 政治家が選挙を恐れるようになった。
山崎 菅総理の不信任案をめぐって、最後の最後までオセロゲームのような状況が続いていたが、結局、民主党執行部が解散風を吹かしたところ、一年生議員たちが震え上がり、日本の将来や自らの政治理念などかなぐり捨てて、お命大事とばかりに執行部に屈したわけだ。
 こうしたアルバイト政治家たちも、なにか語れと言われればそれなりに、天下国家や国際情勢等について喋るかもしれない。だが結局、それは根無し草の空理空論たらざるをえない。誰の代表でもない人間が何かを語ったところで、それはただのお喋りであり、空談なのだ。
 だが、こうした地に足が着いていない根無し草のアルバイト政治家が登場したのは、ある意味時代の要請であったと言える。
 地に足が着いているというのは、自分の選挙区に密着して、自分の後援者の意見を吸い上げ、利害調整に奔走するということだが、これがいわゆる自民党的、党人派の政治家というものだった。党人派政治家が駆逐されてきたのがこの6年ほどの政治状況なのだ。そして、党人派的政治家が駆逐されてきたのも歴史の必然だった。地に根を張るのは大事だが、その木が立ち枯れてしまったときには、根こそぎ引っこ抜かなければならない。古き党人派的・自民党的政治家は、時代の変化に対応できず、自らが立ち枯れていくのをくい止めることができなかった。すなわち、冷戦の終結という新しい時代の到来の中で自らを刷新することができなかった。そのために、反・党人派的な郵政選挙民主党への政権交代という二回の打撃でほとんど絶滅してしまった。
 問題は、党人派的政治への拒否が、そのまま根無し草の、誰の代表でもないような政治家を生み出したことだ。極端から極端へ振れてしまった。あまりにも地元への利益誘導しか考えない政治家も駄目だが、国民の声を吸い上げる回路を全く持たない政治家も同じくらい駄目なのだ。
 菅直人という総理大臣は、現代日本の象徴だ。党首として衆議院選挙で勝利してもいないのに総理大臣の座に居座り続け、辞任を求める声に対しては「責務を果たせというのが国民の声だ」と開き直る。しかし、全国民が知っているが、菅総理には「国民の声」を吸い上げる回路など存在しない。ただ存在し続けること、それだけが目的の総理大臣で、ニヒリストが一国の宰相を務めているのだ。
 この危険をよく理解していたのが小沢一郎氏だろう。小沢氏はいわば「最後の党人派」であり、地に根を下ろしていない政治家の危うさ、脆さに気づいていた。だから、政権交代直後、まだ小沢氏が幹事長だった頃、いわゆる「小沢チルドレン」に対して「とにかく毎朝駅前で辻立ちしろ、地元を足で歩いて回れ」と命じたのだ。
 党人派的政治家の姿を思い浮かべてみればよくわかる。小沢一郎亀井静香鈴木宗男といった人々の姿と、チルドレンと呼ばれる政治家達とでは、好悪は別にして、存在感が圧倒的に違う。それは、党人派政治家には背負っている一票一票の重みがあり、その票を投じた人々の顔が透けて見えるからだ。郵政選挙や二年前の選挙で当選した新人議員達もなるほど、票を得て議員になったわけだが、その一票一票は「とにかく政権交代してくれれば何でもいい」というだけの票で、顔のない、のっぺらぼうの票なのだ。
 小林秀雄の議論を援用しよう。本居宣長に「姿は似せ難く意は似せやすし」と言う言葉がある。意には形というものがない。だから、言葉の意味はわからなくても、言葉の口真似は子供でもできる。だが、その言葉を発する人間が相手に与える作用、感動というものを似せるのは難しい。大層な天下国家論を語るのは、子供の口真似のようなものだ。そこには、相手を心服させる姿というものがない。もちろん、姿というものがすべて見目麗しいとは限らない。だが、どんな姿であろうが、「人目を捕えて離さぬようなものなら、人生の生ま生ましい味わいを湛えているはずであり、その味わいは、比較や分析の適わぬ、個性とか生命感とかいうものに関する経験であろう」(小林秀雄本居宣長』第二十五章)ということだ。
 党人派の時代が終焉を迎えたとはいえ、根無し草の時代においては、民衆の政治への絶望はいよいよ深まり、その絶望は、国民の声を代弁すると標榜するような、強権的な独裁者を待望するようになるだろう。国民の声が国会に届くという回路を回復しない限り、時代はますます暗鬱にならざるをえない。それを避けるためには、何度でも選挙を行うことだ。選挙を恐れる政治家を駆逐することだ。
―― 一時、石原慎太郎氏(現東京都知事)への待望論が起こった。石原氏を軸にした政界再編によって政治状況が打破されるのではないかという動きがあったが、結局尻すぼみに終わった。
山崎 人間には、持って生まれた星の運がある。いわば役回りがあり、宿命がある。太陽には太陽の役目があり、月には月の役目がある。石原慎太郎という政治家は、太陽ではなく月なのだ。すなわち、先頭に立ってぐいぐいとグループを引っ張っていくリーダーの役回りではない。それよりも、主流から外れたところで、ズバズバと物を言うことで輝く役回りの人間なのだ。かつて、中川一郎亡き後、青嵐会・中川派を石原氏が引き継いだことがあった。しかし、石原氏はこの派閥を維持することができなかった。この時に、石原慎太郎という政治家の姿というものは明らかになっていたのだ。おそらく、本人もそのことをわかっているから、チャンスは何回もあったにもかかわらず、国政に戻ることはためらったのだろう。
 分をわきまえるというのは大事で、特に政治家が分をわきまえないようになると、国家は果てしなく混乱していく。国家が混乱しているということは逆に、現代は分をわきまえない人々の時代だということだ。総理大臣の器ではない人物が総理大臣になり、あまりのプレッシャーに押しつぶされて、病気になったり、右往左往している。
―― それは国民もまた分をわきまえていないということか。
山崎 乱暴な言い方をすれば、そういうことになる。たとえば、政治評論家という人種が、テレビに出てきては「あいつはケシカラン、こいつはもっとケシカラン」とご高説を垂れている。問題は、そこに政治家への最低限の敬意が欠けていることだ。評論家という人々は、アルバイト政治家以下の存在で、選挙の洗礼も受けていない、ただの無責任な個人だ。まがりなりにも、のっぺらぼうの票であっても、有権者の票を背負った政治家を罵倒する評論家は一体何様なのか、ということだ。岡目八目で、勝負をしている人間に外野から茶々を入れるような無責任な発言は、政治をますます劣化させるだけだ。無責任が主流となれば、もはや政治など成り立たないのだ。
 現在、日本は震災復興と原発問題という難題を抱えている。街のあちこちで、「みんなで力を合わせて乗り越えよう」といった標語が貼られ、あるいは放送されている。ある百貨店では「東日本大震災の被災者の皆様にお見舞いを申し上げます。お客様にご案内いたします。当店地下一階、お惣菜コーナーでは五時から特別セールを……」といった具合だ。ここには何か異常なものがないだろうか。「震災」をすべての枕詞にすることには、何かきわめて卑劣で、醜いものが隠されてはいないだろうか。
 あるいは、多くの人々が被災地にボランティアで駆けつけているが、それは無条件に正しいことだろうか。もちろん、自分にできることは駆けつけて瓦礫を運ぶことだけだ、と思い定めた人が現地に行くのは大変良いことだ。だが、瓦礫を運ぶ以外の優れた能力を持っている人までもが、現地で瓦礫運びをしているとしたら、それは最善な行為と言えるだろうか。
 原発を考えてもいい。今や、反原発論者は飛ぶ鳥を落とす勢いでジャーナリズムを席巻している。福島の有様を目の前にして、原発の可能性など語ってはいけないという空気が充満しているのだ。そこにおいては、人類の歴史、科学的知への挑戦と失敗、そして失敗にもめげない飽くなき探求への意志といった視座が欠けている。歴史観においては私は進歩史観は取らないが、進歩への意志を失った民族は必ず滅びる。日本人がこのまま空気に流されて原子力に背を向けてしまえば、日本は遠からず滅びるだろう。
 ここでは三つの例を挙げたが、いずれも、問題の根源は同一なのだ。それは、現象を正確に捉え、そこからその現象の本質に迫るという思考が欠如しているということだ。
 我々は「震災復興」と言うが、その言葉は繰り返し使用されるたびに陳腐化していき、形骸化していき、その内実は忘れ去られていく。それが言葉の宿命なのだが、その言葉が生み出された現象そのものを常に想起することが我々の責務だ。3月11日に、全日本国民が、二万人の死という戦慄すべき破滅に立ち会った。我々は常に二万人の死が何を意味しているのか、自問自答し続けなければならない。忘却は第二の死であり、二万の死者をもう一度殺すわけにはいかないからである。
 確かに常に死者を思い、3月11日の恐怖の記憶を生々しく思い続けることは苦しいことだ。だから我々はそこから卑劣にも目を背けようとする。それが言葉の陳腐化、枕詞化ということなのだ。
 もちろん、我々は日常生活を送らなければならないのだし、常に死を想うわけにもいかない。そこに役回りというものがある。現象から本質へ、存在そのものを問う思考が為されるべきで、その役目を担っているのが知識人だ。そして、こうした思考をしている知識人は、ごくわずかしかいない。デパートの放送と同じレベルで、「震災復興に向けて一丸となってがんばりましょう」程度の言論しか流通していない有様なのだ。
 「がんばろう、日本」の掛け声に異議申し立てをするには、大きな非難と罵倒を覚悟しなければならない。だが、にもかかわらず思考し続け、発言するということこそが、知識人の責務なのだ。
 菅総理が「震災復興のため」を枕詞に権力を維持しようとしているのを批判するのであれば、この「震災復興」という言葉に対峙するのが知識人の役回りなのだ。
―― それぞれの役回りに徹することが大事だということか。
山崎 危機の時代における知識人のあり方については、1930年代のドイツが参考になる。ここに1934年、ナチスが台頭していく最中に、フライブルク大学総長を辞任した哲学者ハイデガーのラジオ演説『なぜわれらは田舎にとどまるのか?』がある。ハイデガーはあの危機の時代にあって、黒い森の中にひきこもり、政治家や哲学者仲間と語るよりも、農民たちと共に過ごすことを重視した。農民の生活の中にこそ、いや、そこにしか思索は存在しないからだ。
「われわれは如才ない諂いやまがいものの民族的なるものなど放っておこう――われわれはそして、あの上の単純で強固な現存を、まじめに学びとろう。その時はじめて現存は、再びわれわれに語りかけてくるのだ」
 この一節は、本質的には何も生産しない都会人の気の利いたおしゃべりは、所詮は頽落し、忘却へ落ち込んでいくようなおしゃべりにすぎず、単純素朴で、確実な現実と向きあう農夫の生活、その姿が持つ誠実さには到底比較にならないことを指摘している。
 自民党はかつて、農夫の生活に基盤をおいた政党であり、それが党人派ということなのだが、それが、いつのまにか都市住民の政党になってしまった。そのため、自民党は自壊してしまった。政治も思想も、今一度、農村に帰る必要がある。すなわち、大地から物を生み出すという、生産の思想に立ち戻る必要がある。
それぞれの人間には、それぞれ与えられた役回りがある。今必要なのは、ありのままの現実と向き合い、自らの役回りを誠実につとめることだ。
かつて、藤原定家は乱れる政治の最中、「紅旗征戎我が事にあらず」と記した。世間での出来事、政治闘争などとは私は関係がないという意味だが、これは権力を失った貴族の負け惜しみではない。定家の役回りは歌にあったのであり、そのことを定家自身も理解していたのだ。だから、後鳥羽上皇鎌倉幕府が対立する中でも、一心に定家は歌の道を極めた。結局、定家が政治に奔走したりせず、歌に専念したため、今、われわれは『新古今和歌集』という日本人の偉大な遺産を受け取ることが出来ているのだ。
何をなすべきか。それは自らの存在とは何かを問いかけることで、自ずと明らかになってくるものなのだ。