西部邁

西部 邁(にしべ すすむ、1939年3月15日 - )は日本の評論家、思想家、雑誌『表現者』顧問、元東京大学教養学部教授。

目次
1 経歴
2 思想
3 受賞
4 雑誌の刊行
5 テレビ出演
6 映画出演
7 エピソード
8 作品
8.1 単著
8.2 共著
8.2.1 一部執筆/インタビュー書籍
8.3 翻訳
8.4 音声・動画作品
9 脚注
10 関連項目
10.1 門下生
10.2 雑誌
10.3 その他
11 外部リンク

経歴 [編集]1939年3月、北海道山越郡の漁師町・長万部町に生まれる[1]。父は浄土真宗派の末寺の末男で農協職員。札幌郡厚別の信濃小学校(この頃、吃りであったと明かしている[2])、札幌市立柏中学校、北海道札幌南高等学校に進学。高校卒業まではマルクスレーニンスターリン毛沢東も知らぬノンポリであった。1957年、東京大学の受験に落ち、その後一年間浪人生活を送る。

1958年4月、東京大学に入学、三鷹寮に入る。同年12月に結成された共産主義者同盟(ブント)に加盟する。在学中の1959年から教養学部自治会委員長を務める。同委員長の選挙の際、西部はブントのメンバーたちとともに投票用紙を偽造してすり替え、共産党員の候補を落選させる[3]。また全学連の中央執行委員も務め、60年安保闘争に参加する[4]。

1961年3月、左翼過激派と訣別する。1964年3月、東京大学経済学部卒業。このころブントの活動家であった青木昌彦の勧めで東京大学大学院に進み、経済学を専攻する。指導教官は嘉治元郎。1971年3月、東京大学大学院経済学研究科理論経済学専攻修士課程修了。1972年、連合赤軍による群馬県榛名山での集団リンチ殺人事件の報道を目にして、そのときまで多少とも左翼に共感していたことへの道徳的反省をせざるをえなくなる。[5]横浜国立大学経済学部助教授、次いで東京大学教養学部助教授に就任する。経済学をはじめとする社会科学の細分化を一貫して批判する。1975年出版の処女作『ソシオ・エコノミックス』では社会学などの方法論を導入して旧来の経済学を批判する。経済行為の象徴的意味の解釈を志向する社会経済学の構築をめざし注目される。その後渡米しカリフォルニア大学バークレー校に在籍。引き続き渡英しケンブリッジ大学に在籍。『蜃気楼の中へ』という英米滞在記を発表した。帰国後80年代から大衆社会批判を主軸とした保守論客として活躍をはじめ、各方面で発言を続ける。高度大衆社会アメリカニズム批判と西欧流保守思想の擁護とを基軸にした評論活動を活発に行う。みずからも受賞したサントリー学芸賞の選考委員を長く委嘱される。1986年、東京大学教養学部教授(社会経済学専攻)に就任する。

1988年、中沢新一東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手)を東京大学教養学部助教授に推薦。委員会は通ったが教授会の採決のとき一部の教官たちの妨害により否決される。同年3月、西部はこれに抗議して東京大学を辞任する(東大駒場騒動)。その後は評論活動を続けるとともに鈴鹿国際大学客員教授秀明大学教授・学頭を歴任。新しい歴史教科書をつくる会に参加し理事の任を引き受けたものの、当初から会の運動とは一定の距離を置いており理事会などへは出席しなかった。西尾幹二が台湾や金美齢を批判したことを巡って西尾との間で論争に発展した。台湾独立派の金美齢は「つくる会」に協力的だった。アメリカニズム、グローバリズム近代主義への批判は従来から西部の思想の中心を占めていたが、アメリカ同時多発テロ事件以降の日本の親米知識人たちのアメリカ追従姿勢に対する批判は西尾や田久保忠衛らとの対立を招く。

2002年、小林よしのりとともに「つくる会」を脱退。以後「産経新聞」、「正論」、「諸君!」などを中心とする日本の親米保守の知識人たちと一線を画し彼らを批判。アメリカのイラク侵攻に大義はないと主張し彼らと対立した。また女系天皇を容認する皇室典範改正を是としたことから「左に回帰した」との批判を受ける。だが、現在も日本の核武装、徴兵制の導入、防衛費の倍増、尖閣諸島の実効支配強化などを主張している。

思想 [編集]西部は『発言者』塾[6]の心得十箇条として、以下のように自らの思想の方向を要約している。

人間を「言葉の動物」と理解する。
言葉の産物としての個人および集団における意味的現象を総合的に解釈する。
意味的解釈という矛盾をはらんだ作業において平衡をとる。
人工言語に傾くものとしての概念・理論と自然言語に傾くものとしての思想・実践とを両立させる。
人生経験、認識活動および政治行動の融合をはかる。
言葉の基礎としての歴史の英知を保守する。
戦後日本を歴史破壊的時代として懐疑する。
異世代および異国人にたいする接近と離反において中庸を守る。
大衆教育(大学)と大衆伝達(マスコミ)が、言葉・解釈・経験・実践・歴史の一切を平板化させていることにたいして、批判を差し向ける。
哲学(真)、宗教(善)、および芸術(美)への関心を絶やさないことによって、虚無主義にたいする防波堤を築く。
受賞 [編集]1983年 『経済倫理学序説』で吉野作造賞を受賞
1984年 『生まじめな戯れ』でサントリー学芸賞を受賞
1992年 評論活動により第八回・正論大賞を受賞
2010年 『サンチョ・キホーテの旅』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞
雑誌の刊行 [編集]1994年4月、真正保守思想を標榜する月刊オピニオン誌「発言者」(西部邁事務所、秀明出版会)を創刊し主幹を務めていたが2005年3月、財政上の理由により廃刊。
1997年の創刊から1998年の休刊まで英文雑誌「JAPAN CURRENTS」(日本国民文化研究所)の総合監修を務める。
2003年7月、「北の発言」を創刊するがその後財政上の理由により廃刊。
2005年より「発言者」の後継誌「表現者」(ジョルダン)が刊行されており西部はその顧問を務めている。
テレビ出演 [編集]東大辞職後はテレビ出演が多くなる。テレビ朝日系列の討論番組『朝まで生テレビ!』の準レギュラーでもあった。
2004年12月から東京MXテレビの『談志・陳平の言いたい放だい』に出演。2005年4月、立川談志野末陳平吉村作治毒蝮三太夫と「談シング5(ファイブ)」を結成。
2008年10月、「談志・陳平の言いたい放だい」の後番組として、西部が司会を務める『続・言いたい放だい』の放送が始まる(2009年1月より番組名を「西部邁ゼミナール〜戦後タブーをけっとばせ〜」と改題)。富岡幸一郎東谷暁がゲストとして何度も出演している。
2008年以降、フジテレビの番組『報道2001』に頻繁に出演し持論を展開した。
2009年4月4日、『西部邁佐高信の学問のすゝめ』(朝日ニュースター)の放送が始まる。近現代史上の著名人についての持論を展開。2010年4月2日に終了。その後好評につきアンコール放送される。
2010年4月3日、「本」をテーマにした対談番組『西部邁佐高信の学問のすゝめ?』(朝日ニュースター)の放送が始まる。
2011年、「映画」をテーマにした対談番組『西部邁佐高信の学問のすゝめ?』(朝日ニュースター)の放送が始まる。
映画出演 [編集]公開年 タイトル 監督
2005年 LEFT ALONE 井土紀州
2009年 ベオグラード1999 金子遊
エピソード [編集]法哲学井上達夫駒場時代に助手であったころ西部から大きな影響を受けた。千葉大学助教授となった井上が論壇に押し上げられたのは、西部がサントリー学芸賞選考で井上を高く評価したことによる[要出典]。
西部は自分の好き嫌いについて次のように述べている[7]。
好き 嫌い
人物 自分 自分
言葉 保守 革新
食べ物 うどん 幕の内弁当
学問 ある種の哲学 あらゆる種類の経済学
芸術 ある種の絵画 最近の文学
スポーツ なし なし
動物 猫 人間と言いたいところだが、なし
宗教 すべての旧宗教と言いたいところだが、なし すべての新興宗教と言いたいところだが、なし
国(人種) まずイタリア、次にイギリスと言いたいが、やはり日本 まずアメリカ、次に韓国と言いたいが、やはり日本

1992年、東京都東村山市憲法記念日の行事として市主催の講演会を開催することになり西部に講演を依頼した。西部が快諾し講演会の開催が決まったところ、一部市民団体などが「改憲を主張する西部氏を市主催行事の講師に招くということは東村山市改憲を支持しているに等しい」等と抗議した。これに対し市は「西部氏は東村山市民なので依頼したのであり市が改憲を主張しようということではない」と説明したが市民団体などはごね続けた。そこで市は護憲派も講師に招こうと考えたが市内には護憲派の著名人がいなかったため南隣の東京都国分寺市に所在する東京経済大学の教授(当時)で護憲派色川大吉に依頼した。色川は「西部さんとは旧知で何度も議論しているので是非参加したい」と快諾。市民団体もごねるのを止め講演会は無事開催されるに至った。
2001年8月、船橋市立西図書館のある司書が同館所蔵の西部の多数の著書などを廃棄基準に該当しないにもかかわらず除籍・廃棄した(船橋市西図書館蔵書破棄事件)。西部はこの件を引き合いに出して次のように言っている。
つい先だって、船橋の市立図書館で、私の書物が一冊を除いてすべてひそかに廃棄されるという扱いを受けたが、次の焚書(ふんしょ)に当たっては、本書(『知性の構造』ハルキ文庫版)がその一冊の例外になるという名誉にあずかれればと切望する。坑儒されてみたいくらいに思っている私がなぜこんなことをいうのか。それは、本書がどこかに残っていれば、その作成に携わってくれた皆様に――単行本を物にしてくれた小山晃一氏を含めて――ささやかな返礼ができると思うからである。

西部邁『知性の構造』ハルキ文庫、2002年、270頁。

2002年、西部は東京西麻布の裏通りにあるイタリアン・レストラン「ゼフィーロ」の地主となった[8]。長男の一明が同レストランのオーナー兼支配人(建て物所有者兼店舗経営者)を務めた。同レストランは2007年4月に閉店。
西部が高く評価している日本人は山本常朝、福澤諭吉夏目漱石坂口安吾、田中美知太郎、福田恆存三島由紀夫などである[9]。
親米派論壇人たちがみずからの輪の中で閉塞してゆく状況にあって姜尚中と対談したり「週刊金曜日」の取材に応じたりと立場の違うものとも積極的に対話しようとする姿勢は際立っている。
西部は自分が念じることおよび自分の生死の意味について次のように述べている。
私の念じるのは、評論家として、次のように思いつつそして死ぬことだけである。

つまり、この人の世にあるのは言葉だけであり、自分という極微の存在は、過去のあまりにも巨大な言葉の集積のうちほんの局所を受け継ぎ、そしてそれにごく僅少の加工をほどこして、死とともに、それを何処の誰とも知れぬ人に手渡す(素振をする)、私の生死の意味はそのことに尽きると思っている。

— 『寓喩としての人生』徳間書店、238頁。

「WiLL」2011年4月号で大相撲の八百長を擁護した[10]。
作品 [編集] 単著 [編集]『ソシオ・エコノミックス 集団の経済行動』 中央公論社、1975年。
『ソシオ・エコノミックス』 イプシロン出版企画、2006年4月。ISBN 4-903145-03-4。
『蜃気楼の中へ 遅ればせのアメリカ体験』 日本評論社、1979年6月。
『蜃気楼の中へ 遅ればせのアメリカ体験』 中央公論社〈中公文庫〉、1985年8月。ISBN 4-12-201246-5。
『経済倫理学序説』 中央公論社、1983年3月。
『経済倫理学序説』 中央公論社〈中公文庫〉、1991年11月。ISBN 4-12-201854-4。
ケインズ岩波書店〈20世紀思想家文庫 7〉、1983年4月。
『大衆への反逆』 文藝春秋、1983年7月。
『大衆への反逆』 PHP研究所PHP文庫〉、1991年4月。ISBN 4-569-56349-X。
『生まじめな戯れ 価値相対主義との闘い』 筑摩書房1984年7月。
『生まじめな戯れ 価値相対主義との闘い』 筑摩書房ちくま文庫〉、1992年1月。ISBN 4-480-02594-4。
『論士歴問 大衆社会をこえていく綱渡り』 プレジデント社、1984年10月。ISBN 4-8334-1238-1。
『幻像の保守へ』 文藝春秋、1985年7月。
大衆社会のゆくえ』 日本放送協会編、日本放送出版協会NHK市民大学〉、1986年7月。
『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー文藝春秋、1986年10月。ISBN 4-16-340990-4。
『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー洋泉社〈MC新書 17〉、2007年6月。ISBN 978-4-86248-149-8。
『大衆の病理 袋小路にたちすくむ戦後日本』 日本放送出版協会NHKブックス 518〉、1987年1月。ISBN 4-14-001518-7。
『批評する精神』 PHP研究所、1987年6月。ISBN 4-569-22038-X。
『貧困なる過剰 ビジネス文明を撃つ』 日本経済新聞社、1987年9月。ISBN 4-532-09450-X。
『貧困なる過剰 ビジネス文明を撃つ』 PHP研究所PHP文庫〉、1991年12月。ISBN 4-569-56435-6。
『大錯覚時代』 新潮社、1987年10月。ISBN 4-10-367501-2。
『剥がされた仮面 東大駒場騒動記』 文藝春秋、1988年7月。ISBN 4-16-342480-6。
『大衆民主主義を疑う』 自由民主党調査局政治資料研究会議〈情報資料 368号〉、1988年11月。
『新・学問論』 講談社講談社現代新書〉、1989年2月。ISBN 4-06-148936-4。
『学者この喜劇的なるもの』 草思社、1989年6月。ISBN 4-7942-0345-4。
『サンチョ・キホーテの眼』 文藝春秋、1989年6月。ISBN 4-16-343340-6。
『批評する精神』続、PHP研究所、1989年8月。ISBN 4-569-52542-3。
ニヒリズムを超えて』 日本文芸社、1989年10月。ISBN 4-537-04986-3。
ニヒリズムを超えて』 角川春樹事務所〈ハルキ文庫〉、1997年11月。ISBN 4-89456-362-2。
『マスコミ亡国論 日本はなぜ“卑しい国”になったのか』 光文社〈カッパ・ブックス〉、1990年4月。ISBN 4-334-00494-6。
『白昼への意志 現代民主政治論』 中央公論社、1991年1月。ISBN 4-12-001988-8。
『マスメディアを撃て』 PHP研究所、1991年2月。ISBN 4-569-52976-3。
戦争論 絶対平和主義批判』 日本文芸社、1991年6月。ISBN 4-537-05003-9。
戦争論 暴力と道徳のあいだ』 角川春樹事務所〈ハルキ文庫〉、2002年2月。ISBN 4-89456-957-4。
『思想史の相貌 近代日本の思想家たち』 世界文化社、1991年6月。ISBN 4-418-91511-7。
『思想史の相貌』 徳間書店〈徳間文庫〉、1997年12月。ISBN 4-19-890809-5。
『私の憲法論 日本国憲法改正試案』 徳間書店、1991年6月。ISBN 4-19-554590-0。
『私の憲法論 真正保守による改正試案』 徳間書店〈徳間文庫〉、1999年5月。ISBN 4-19-891110-X。
『批評する精神』3、PHP研究所、1992年1月。ISBN 4-569-53524-0。
『人間論』 日本文芸社、1992年4月。ISBN 4-537-05012-8。
『人間論』 PHP研究所PHP文庫〉、1996年3月。ISBN 4-569-56837-8。
『批評する精神』4、PHP研究所、1993年2月。ISBN 4-569-53894-0。
『「成熟」とは何か 新政経学のすすめ』 講談社、1993年4月。ISBN 4-06-206429-4。
『リベラルマインド 歴史の知恵に学び、時代の危機に耐える思想』 学習研究社、1993年7月。ISBN 4-05-105638-4。
『日本人の嘘 政治改革からマスコミ世論まで』 光人社、1993年12月。ISBN 4-7698-0669-8。
『歴史感覚 何が保守政治の神髄か』 PHP研究所、1994年6月。ISBN 4-569-54318-9。
『歴史の復権 「文明」と「成熟」の構図』 東洋経済新報社〈日本を考える〉、1994年7月。ISBN 4-492-08554-8。
『死生論』 日本文芸社、1994年11月。ISBN 4-537-05035-7。
『死生論』 角川春樹事務所〈ハルキ文庫〉、1997年5月。ISBN 4-89456-311-8。
『日本とは何か日本人とは何か 正統知識人の驚くべき先見力』第1巻、広済堂出版〈みんなに聞いて欲しい心の物語〉、1995年7月。ISBN 4-331-50490-5。
『世人に言上したきことあり』 新潮社、1996年1月。ISBN 4-10-367502-0。
『現在への証言 平成の世と切り結ぶ』 広済堂出版、1996年2月。ISBN 4-331-50519-7。
『破壊主義者の群れ その蛮行から日本をいかに守るか』 PHP研究所、1996年3月。ISBN 4-569-54969-1。
『思想の英雄たち 保守の源流をたずねて』 文藝春秋、1996年4月。ISBN 4-16-350900-3。
『知性の構造』 角川春樹事務所、1996年7月。ISBN 4-89456-025-9。
『知性の構造』 角川春樹事務所〈ハルキ文庫〉、2002年11月。ISBN 4-7584-3014-4。
『知識人の生態』 PHP研究所PHP新書〉、1996年11月。ISBN 4-569-55365-6。
『「国柄」の思想』 徳間書店、1997年1月。ISBN 4-19-860634-X。
開発経済学研究派遣制度研究報告書. 平成7年度-平成8年度』 大蔵省財政金融研究所研究部、1997年。
『恐慌前夜の独り言』 新潮社、1998年2月。ISBN 4-10-367503-9。
『なぜ「日本売り」は起きたのか 愚かなるかな、改革論者よ』 PHP研究所、1998年3月。ISBN 4-569-55977-8。
『国家と歴史 状況の中で』 秀明出版会〈発言者双書 1〉、1998年4月。ISBN 4-915855-11-2。
『寓喩としての人生』 徳間書店、1998年6月。ISBN 4-19-860864-4。
西部邁の論争の手引き』 日刊工業新聞社〈B&Tブックス〉、1998年9月。ISBN 4-526-04242-0。
『虚無の構造』 飛鳥新社、1999年4月。ISBN 4-87031-366-9。
西部邁の論争ふたたび 対米属国からぬけでる方法』 日刊工業新聞社〈B&Tブックス〉、1999年11月。ISBN 4-526-04470-9。
福澤諭吉 その武士道と愛国心文藝春秋、1999年12月。ISBN 4-16-355800-4。
国民の道徳新しい歴史教科書をつくる会編、産経新聞ニュースサービス、2000年10月。ISBN 978-4-594-02937-1。
ナショナリズムの仁・義』 PHP研究所、2000年12月。ISBN 4-569-61428-0。
エコノミストの犯罪 「失われた10年」を招いたのは誰か』 PHP研究所、2002年4月。ISBN 4-569-62063-9。
『保守思想のための39章』 筑摩書房ちくま新書〉、2002年9月。ISBN 4-480-05966-0。
『人生の作法』 飛鳥新社、2002年10月。ISBN 4-87031-521-1。
『獅子たりえぬ超大国 なぜアメリカは強迫的に世界覇権を求めるのか』 日本実業出版社、2003年4月。ISBN 4-534-03569-1。
アメリカの大罪』 小学館小学館文庫〉、2003年7月。ISBN 4-09-405711-0。 - 西部邁の論争ふたたび』(日刊工業新聞社、1999)から再編集。
『わが憲法改正案 「大切な心」を忘れた日本人』 ビジネス社、2004年4月。ISBN 4-8284-1115-1。
『学問』 講談社、2004年4月。ISBN 4-06-212369-X。
『人生読本』 ダイヤモンド社、2004年7月。ISBN 4-478-70311-6。
『友情 ある半チョッパリとの四十五年』 新潮社、2005年4月。ISBN 4-10-367504-7。
『無念の戦後史』 講談社、2005年8月。ISBN 4-06-213057-2。
核武装論 当たり前の話をしようではないか』 講談社講談社現代新書〉、2007年3月。ISBN 978-4-06-149884-6。
『教育 不可能なれども』 ダイヤモンド社、2007年7月。ISBN 978-4-478-00200-1。
『「日本国憲法」を読む』上、イプシロン出版企画、2007年8月。ISBN 978-4-903145-20-4。
『妻と僕 寓話と化す我らの死』 飛鳥新社、2008年7月。ISBN 978-4-87031-851-9。
『「日本国憲法」を読む』下、イプシロン出版企画、2008年9月。ISBN 978-4-903145-21-1。
『サンチョ・キホーテの旅』 新潮社、2009年3月。ISBN 978-4-10-367505-1。
『陥没する世界のなかでの「しあわせ」論』 ジョルダンジョルダンブックス〉、2009年1月。ISBN 978-4-915933-07-3。
『だからキミの悩みは黄金に輝く 西部邁の人生相談』 ジョルダンジョルダンブックス〉、2009年4月。ISBN 978-4-915933-20-2。
『14歳からの戦争論ジョルダンジョルダンブックス〉、2009年10月。ISBN 978-4-915933-25-7。
『昔、言葉は思想であった 語源からみた現代』 時事通信出版局、2009年11月。ISBN 978-4-7887-0974-4。
焚書坑儒のすすめ エコノミストの恣意を思惟して』 ミネルヴァ書房、2009年11月。ISBN 978-4-623-05621-7。
小沢一郎は背広を着たゴロツキである。 私の政治家見験録』 飛鳥新社、2010年7月。ISBN 978-4-86410-029-8。
共著 [編集]富岡多恵子 『大衆論 対談』 草思社1984年7月。
笠井潔川村湊小阪修平竹田青嗣長崎浩西部邁ビジネス文明批判 尾根道をたどりながら』 作品社〈<現在>との対話 6〉、1986年4月。ISBN 4-87893-606-1。
加藤尚武 『烈々豪々(Let's go!)人生学』 理想社、1988年11月。
石川好 『覚悟! 朝まで討論=<日本>』 弓立社、1989年5月。ISBN 4-89667-122-8。
栗本慎一郎 『立ち腐れる日本 その病毒は、どこから来たのか』 光文社〈カッパ・サイエンス〉、1991年9月。ISBN 4-334-06062-5。
新野哲也 『正気の保ち方 「繁栄の空虚」からいかに脱するか』 光文社〈カッパ・ビジネス〉、1992年5月。ISBN 4-334-01266-3。
三田誠広 『息子の教育 闘論』 プレジデント社、1994年11月。ISBN 4-8334-1545-3。
秋山祐徳 『ポップコン宣言 偽りの戦後史を書き替える』 光文社〈カッパ・サイエンス〉、1995年5月。ISBN 4-334-06096-X。
『日本の自画像』vol.3、うら梅の郷会編、葦書房、1995年6月。ISBN 4-7512-0600-1。
小林よしのり福田和也佐伯啓思 『国家と戦争 徹底討議』 飛鳥新社、1999年6月。ISBN 4-87031-371-5。
榊原英資・飯田経夫 『大いなる説得 われらの子と孫への提言』 西部邁責任編集、日刊工業新聞社〈B&Tブックス〉、2000年11月。ISBN 4-526-04674-4。
福田和也佐伯啓思・絓秀実 『テロルと国家 徹底討議』 飛鳥新社、2002年4月。ISBN 4-87031-499-1。
中曾根康弘松井孝典 『論争教育とは何か』 文藝春秋〈文春新書〉、2002年5月。ISBN 4-16-660249-7。
小林よしのり 『反米という作法』 小学館、2002年9月。ISBN 4-09-389053-6。
田原総一朗姜尚中愛国心講談社、2003年6月。ISBN 4-06-211911-0。
田原総一朗姜尚中愛国心講談社講談社+α文庫〉、2005年7月。ISBN 4-06-256952-3。
小林よしのり 『アホ腰抜けビョーキの親米保守飛鳥新社、2003年7月。ISBN 4-87031-564-5。
小林よしのり 『本日の雑談』1、飛鳥新社、2004年5月。ISBN 4-87031-608-0。
小林よしのり 『本日の雑談』2、飛鳥新社、2004年7月。ISBN 4-87031-623-4。
中曽根康弘松本健一憲法改正大闘論 「国民憲法」はこうして創る』 ビジネス社、2004年9月。ISBN 4-8284-1144-5。
小林よしのり 『本日の雑談』3、飛鳥新社、2004年10月。ISBN 4-87031-640-4。
小林よしのり 『本日の雑談』4、飛鳥新社、2004年12月。ISBN 4-87031-648-X。
金子勝姜尚中金美齢小林よしのり高野孟西部邁・樋口恵子・森本敏 『「愛国心」「国益」とはなにか。 朝まで生テレビ!』 田原総一朗責任編集、アスコム、2004年2月。ISBN 4-7762-0133-X。
小林よしのり 『本日の雑談』5、飛鳥新社、2005年3月。ISBN 4-87031-659-5。
小林よしのり 『本日の雑談』6、飛鳥新社、2005年6月。ISBN 4-87031-675-7。
ケインズイプシロン出版企画 (発売)、2005年7月。ISBN 4-903145-02-6。
小林よしのり 『本日の雑談』7、飛鳥新社、2005年8月。ISBN 4-87031-689-7。
中曾根康弘松井孝典松本健一 『「昭和80年」戦後の読み方』 文藝春秋〈文春新書〉、2005年8月。ISBN 4-16-660458-9。
小林よしのり 『本日の雑談』8、飛鳥新社、2005年11月。ISBN 4-87031-697-8。
弘兼憲史 『本日の雑談』9(第2期 1)、飛鳥新社、2006年6月。ISBN 4-87031-707-9。
鈴木宗男宮崎学 『日本と戦う』 講談社、2006年8月。ISBN 4-06-213506-X。
弘兼憲史 『本日の雑談』10(第2期 2)、飛鳥新社、2006年10月。ISBN 4-87031-723-0。
辻惠 『道義あふれる国へ 「美しい国へ」の欺瞞を撃つ』 イプシロン出版企画、2007年2月。ISBN 978-4-903145-23-5。
中島岳志 『保守問答』 講談社、2008年1月。ISBN 978-4-06-214505-3。
中島岳志 『パール判決を問い直す 「日本無罪論」の真相』 講談社講談社現代新書〉、2008年7月。ISBN 978-4-06-287954-5。
佐高信 『思想放談』 朝日新聞出版、2009年10月。ISBN 978-4-02-250639-9。
宮崎正弘日米安保50年』 海竜社、2010年1月。ISBN 978-4-7593-1109-9。
波頭亮 『知識人の裏切り どこまで続く、平成日本の漂流』 筑摩書房ちくま文庫 に3-2〉、2010年3月。ISBN 978-4-480-42698-7。
西田昌司佐伯啓思 『保守誕生 日本を陥没から救え』 ジョルダンジョルダンブックス〉、2010年3月。ISBN 978-4-915933-32-5。
一部執筆/インタビュー書籍 [編集]「技術進歩の諸問題」、『現代経済学の展開』 嘉治元郎・村上泰亮編、勁草書房、1971年。
社会学的基礎 経済体制の原型を求めて」、『経済体制論』第2巻、東洋経済新報社、1978年3月。
「異端の経済学――ケインズハイエク」、『1990年代の日本経済』 経済展望談話会編、経済展望談話会〈経済展望談話会セミナー 第11集〉、1985年3月。ISBN 4-13-043026-2。
「知識人と大衆」、『NHK文化講演会』13、NHK編、日本放送出版協会、1986年2月。ISBN 4-14-008471-5。
日本教育会叢書』第14集、日本教育会編、日本教育会、1987年。
ヘーゲル読本』 加藤尚武編、法政大学出版局、1987年3月。
筑紫哲也井上ひさしほか 『若者たちの大神 筑紫哲也対論集』 朝日新聞社、1987年8月。ISBN 4-02-255738-9。
赤瀬川原平市川右近ほか 『百人力新発売 新しい「知」を担う百人一論 ネオ・インテリジェンス宣言』 文春ネスコ、1988年11月。ISBN 4-89036-752-7。
『時代を仕掛ける 田原総一郎と10人の男たち』 田原総一朗編、フジテレビ出版、1989年9月。ISBN 4-594-00460-1。
岡崎久彦 『情報・戦略論ノートpart2 歴史と戦略について』 PHP研究所、1990年2月。ISBN 4-569-52678-0。
西部邁ほか 『天下国家の語り方 日本と世界、政治と経済をめぐる「神話」の検証!』 JICC出版局別冊宝島115〉、1990年。
『知の位相空間 現代の知性13人へのインタビュー集』 井尻千男編著、HBJ出版局、1991年3月。ISBN 4-8337-5063-5。
村上泰亮 『村上さんを偲んで』 出版社不明、1993年8月。
秦野章・平山郁夫 『秦野章の辛口モーニング 話題の対談番組再録』 テレビ東京編、東急エージェンシー出版部、1994年2月。ISBN 4-88497-024-1。
田中美知太郎・山崎正和ほか 『プラトンに学ぶ 田中美知太郎対話集』 日本文芸社、1994年7月。ISBN 4-537-05034-9。
『メディアの迷走 誇りなき報道が国を亡ぼす』 粕谷一希編著、PHP研究所、1994年11月。ISBN 4-569-54504-1。
勝田吉太郎著作集』第8巻、ミネルヴァ書房、1995年1月。ISBN 4-623-02475-X。
佐々木毅吉本隆明ほか 『日本の境位を探る』 四谷ラウンド、1995年10月。ISBN 4-946515-01-1。
小林よしのり 『新・ゴーマニズム宣言』1、小学館、1996年8月。ISBN 4-09-389001-3。
小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言』1、小学館小学館文庫〉、2001年1月。ISBN 4-09-405141-4。
中上健次柄谷行人中上健次発言集成』2、第三文明社、1995年12月。ISBN 4-476-03196-X。
草柳文恵・若杉敬明ほか 『21世紀の郵便局サービスを考える 郵便局ビジョン2010』 アール・エフ・ラジオ日本編、透土社、1997年9月。ISBN 4-924828-52-1。
小林よしのり 『新・ゴーマニズム宣言』2、小学館、1997年3月。ISBN 4-09-389002-1。
小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言』2、小学館小学館文庫〉、2001年1月。ISBN 4-09-405142-2。
谷沢永一松下幸之助 『Voice主要論文集』 PHP研究所編、PHP研究所、1997年12月。ISBN 4-569-55915-8。
大月隆寛岡田斗司夫 『もの書きがTVに出るということ NHK「ナイト・ジャーナル」をくぐりぬけて』 新紀元社、1998年2月。ISBN 4-88317-688-6。
谷沢永一 『人さわがせ』 バンガード社〈本音を語る 2〉、1998年6月。ISBN 4-915599-13-2。
爆笑問題・宮本政於ほか 『爆笑問題のピープル』 幻冬舎、1998年6月。ISBN 978-4-87728-233-2。
爆笑問題・宮本政於ほか 『爆笑問題のピープル』 幻冬舎幻冬舎文庫〉、2001年8月。ISBN 4-344-40150-6。
岸本裕紀子 『日本の母』 廣済堂出版、1998年8月。ISBN 4-331-50646-0。
矢内裕幸・森毅ほか 『怖いもんなし23人の喋るぞ! 闘う文化人のガクモンのすすめ』 旺文社、1999年4月。ISBN 4-01-055007-4。
加地伸行小浜逸郎 『この思想家のどこを読むのか 福沢諭吉から丸山真男まで』 洋泉社〈新書y〉、2001年2月。ISBN 4-89691-518-6。
『新しい公民教科書 市販本』 扶桑社、2001年6月。ISBN 4-594-03156-0。
『JC発「教育改革」待ったなし』 日本青年会議所編、ぱるす出版、2001年10月。ISBN 4-8276-0187-9。
『鬼畜米英 がんばれサダム・フセインふざけんなアメリカ!!』 木村三浩責任編集、鹿砦社、2003年4月。ISBN 4-8463-0506-6。
『合意形成論 総論賛成・各論反対のジレンマ』 土木学会誌編集委員会編、土木学会〈土木学会誌叢書 2〉、2004年3月。ISBN 4-8106-0469-1。
浜田卓二郎松本健一ほか 『ネバー・ギブ・アップ』 アートデイズ、2004年5月。ISBN 4-86119-028-2。
西部邁述「世界の思想の連峰を眺めると、保守思想の尾根なのです」、『本の本音』 高橋誠・森恵子編著、生活情報センター、2004年9月。ISBN 4-86126-139-2。
憲法の論点 『正論』傑作選』 『正論』編集部編、産経新聞ニュースサービス、2004年10月。ISBN 4-594-04810-2。
絓秀実・井土紀州松田政男西部邁柄谷行人津村喬花咲政之輔・上野昂志・丹生谷貴志 『Left alone 持続するニューレフトの「68年革命」』 明石書店、2005年2月。ISBN 4-7503-2045-5。
阿川弘之森達也男たちの大和 YAMATO』 イプシロン出版企画、2005年。 - 雑誌扱い。
関岡英之佐藤優ほか 『アメリカの日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』 関岡英之イースト・プレス特別取材班編、イースト・プレス〈East Press nonfiction 6〉、2006年12月。ISBN 4-87257-744-2。
平沼赳夫正しい日本を創る会 『日本の正道 真の保守政治を確立するための政策提言』 PHP研究所、2007年7月。ISBN 978-4-569-69291-3。
「列島人の愚行、錯誤そして自殺」、『「日米安保」とは何か』 藤原書店編集部編、藤原書店、2010年8月。ISBN 978-4-89434-754-0。
翻訳 [編集]ミルトン・フリードマン 『価格理論』 内田忠夫・西部邁深谷昌弘訳、好学社、1972年。
シュムペーターのヴィジョン 『資本主義・社会主義・民主主義』の現代的評価』 A・ヒアチェ編、西部邁ほか訳、HBJ出版局、1983年8月。ISBN 4-8337-5002-3。
ティーヴン・ナッシュ 『日本人と武士道』 角川春樹事務所、1997年12月。ISBN 4-89456-045-3。
ティーヴン・ナッシュ 『日本人と武士道』 角川春樹事務所〈ハルキ文庫〉、2004年5月。ISBN 4-7584-3104-3。
音声・動画作品 [編集]『真正保守思想を求めて』2、エピック・ソニー、1989年。
西部邁の「反論を待つ」』2、エピック・ソニー、1990年。
西部邁の「反論を待つ」』3、エピック・ソニー、1990年。
『メディアが世界を変える』第16巻、中京テレビ編、丸善
脚注 [編集]^ 『妻と僕』(飛鳥新社)の巻末に西部の詳細な経歴が掲載されている。
^ http://www.youtube.com/watch?v=Qrt4ZvJ-rmg
^ 西部邁『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー文芸春秋、1986年、36-37頁。
^ 田原総一朗のコラムによると、西部は安保条約の中身も読まずに反対していた、としている。http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110810/280586/
^ 『寓喩としての人生』175 - 177頁。『妻と僕』61 - 63頁。
^ のちに『表現者』塾に改名。
^ 西部邁栗本慎一郎『立ち腐れる日本』光文社、1991年、225頁。
^ 西部邁「レストランの地主となって」『文藝春秋』平成14年6月号
^ 『思想史の相貌』(徳間文庫)などを参照。
^ 西部邁「大新聞、テレビは統合失調症だ」、『WiLL』、ワック、2011年4月。
関連項目 [編集] 門下生 [編集]佐伯啓思
間宮陽介
宮本光晴
坂井素思
佐藤光
雑誌 [編集]発言者
表現者
北の発言
京の発言
その他 [編集]知性の構造
東大駒場騒動
表現者
船橋市西図書館蔵書破棄事件
保守思想
反米保守

外部リンク [編集]表現者
西部邁FAQ―西部邁のまこも部屋―
西部邁 - Yahoo!百科事典
西部邁: イラク戦争憲法改正、教育、天皇制 - 日本財団図書館
第150回 国会 第1号、参考人 西部邁君 - 参議院憲法調査会、平成12年11月15日
西部邁佐高信の学問のすゝめ: I、II、アンコール、III - 朝日ニュースター
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浅田彰

浅田 彰(あさだ あきら、1957年3月23日 - )は日本の批評家、京都造形芸術大学大学院長。兵庫県神戸市出身。

目次
1 来歴
2 思想
2.1 経済学
2.2 天皇
2.3 教育問題
2.4 官僚制
2.5 人文知
3 エピソード
4 略歴
4.1 学歴
4.2 職歴
4.2.1 兼職
5 著作
5.1 単著
5.2 共著
5.3 共編著
5.4 訳書
5.5 連載
6 受賞歴
7 関連項目
8 註
9 外部リンク

来歴 [編集]1983年、京都大学人文科学研究所の助手時代に、26歳で『構造と力』を出版。その扱う対象の難解さにも関わらず、15万部を超すベストセラーとなり、「浅田彰現象(AA現象)」を巻き起こした。

84年から87年まで、雑誌『GS』を出し、90年代は柄谷行人とともに『批評空間』を編集し[1] 、『InterCommunication』を創刊した。浅田が紹介・評価したことがきっかけとなって広まったものも多い[2]。日本に止まらず、国外にも積極的に出かけ、数多くの対話を残している[3]。

2008年から京都大学経済研究所准教授を退職し京都造形芸術大学大学院長に就任[1][2]

思想 [編集] 経済学 [編集]修士論文のテーマはゲーム理論で、初期には数理経済学者を名乗っていた。ほかに経済思想史に関する論文を執筆したこともある。しかし80年代後半以降は経済学関係の著作は皆無で、現在は経済学者は「廃業」したと述べているが、2008年まで20年に渡り、京大経済研究所に助教授(准教授)のまま勤務していた。結局、経済学に限らず体系的著作は一つも残しておらず、この点を吉本隆明が厳しく批判している。

天皇 [編集]「構造と力」以来、天皇制の問題について、思考し発言している。

教育問題 [編集]学力低下を嘆いており、必要最小限の知識を、中学高校の間に叩き込まねばならないと考えている。 国語教科書でいえば、現代のレベルの低い作品をやめ、漱石・鴎外を載せるべきと考えている。数学でいえば、中途半端な集合論をやめ、二次方程式を誰でも解けるようにすることが必要だと考えている。さらに、かつて丸山真男や遠山啓が岩波新書からスタンダードな教養を提示したように、現代でもそれに代わる新たな教養の提示が必要だと考えている。

官僚制 [編集]教育問題とも関連しており、レベルを上げる必要があると考えている。たとえば、財務省のエリートは、数学か経済学の博士号くらいは持っていて、5時にはサッと仕事を切り上げて小説を執筆するなりオペラを鑑賞するというスタイルを持つレベルであってほしいと述べている。

人文知 [編集]人文知の現在については、『表象』no.01(2007)における松浦寿輝との対談において、「プラグマティックな工学知とそれによる利潤追求がすべてだ」(テクノキャピタリズム)という発想の全面化により、「人文知の成立する余地が失われた」。「いまや国家もハイ・カルチャーに興味をなくしつつあるし、オタクあがりのIT成金もハイ・カルチャーに興味をもっていない」。残っているのは、「日本における動物的スノッブあるいはスノビッシュな動物としてのオタク、その幼児的倒錯」しかないように見え、実際、「幼児的退行を売り物にするカルチャーが、日本的なオタクの特殊な表現であるということで、世界的に売れてしま」う。「2000年前後に、ドラスティックな変化があった。それまでは近代文学というものが辛うじて生きていた。しかしいまやそういう意味での文学とは違うところ、いわゆるライトノベルケータイ小説、アニメやゲームのほうが、主流になってしまった。文学もそういうふきさらしの荒野に出てしまったと言う感じははっきりする」

しかし「素直に言って、僕はそういうものは最悪だ」と思うし、「市場の論理がすべてだとは絶対に思わない」。とはいえ、それらへの「反動として、ヨーロッパ的(あるいは東洋的)な古きよき教養に戻るというのも望ましくもなければ可能でもない。亡命知識人の体現するヨーロッパとアメリカの臨界に、20世紀の人文知の最大の可能性があった。それを21世紀にどうやって取り戻せるのかというのが、ひとつのモチーフになる」と述べている。

また、「深くアカデミックでありながら、アクチュアルな活動を展開している人が決していないわけではない。結局、人文知というのは、どうやってそういう人を見つけ、相互に結び付けていくかということにかかっている」とも述べている。

情報環境、メディア環境の急激な変化に関しては、「簡単に検索し操作できるというのは、すばらしいことに違いない。けれども、それとは別の次元で、モノとしての知に直接かつ偶然に遭遇できる場が絶対必要。そのような場、そのような遭遇をどうやって可能にしていくかというのが大きな問題だ」と述べている。

また「創造の現場とつながる」ことが「大変重要」、「人文知が理論的に洗練されていく」のはいいが、「人文知はそれと全然関係ない人たちと接触したときに本当に試される」「まず批評の実践があっていいんだけれど、同時に、自分がつくる、つくるということに参与するということがあっていい。そういうことがないと人文知というものが本当の意味で機能することはない」と述べている。

浅田が、過去さまざまなメディアに露出し、執筆したテキストは、浅田彰書誌[3]に詳しい。 また、はてなダイアリーを含むWeb上でのコミュニケーションに関しては次のように言及している[4]。

エピソード [編集]ソーカル事件などで示されたフランス現代思想潮流の衒学性の問題に対して、フランスで『知の欺瞞』が出版された1997年当時から少なくとも2001年8月1日にいたるまで一貫する彼の答えは「明晰にできることはできるだけ明晰に」すべきというものである。ソーカルらによる論証は対象となるそれぞれの論者を本質的に批判してはおらず、また批判の根拠たる科学主義も絶対とはいえないと応じながらも、「ソーカル事件」の教訓を強調し、不必要な衒学は戒めなければならないとしている。これについては雑誌『批評空間』の公式ウェブサイト内の記事に詳しい。[4]。
略歴 [編集] 学歴 [編集]1975年、洛星高等学校卒業
1979年、京都大学経済学部経済学科卒業
1981年、京都大学大学院経済学研究科博士課程中退
職歴 [編集]1981年、京都大学人文科学研究所助手
1983年、『構造と力 記号論を超えて』を出版。ベストセラーとなる。
1989年、京都大学経済研究所助教
2007年、京都大学経済研究所准教授
2008年、京都造形芸術大学大学院長
兼職 [編集]近畿大学国際人文学研究所客員教授
放送大学大学院客員教授
著作 [編集] 単著 [編集]『構造と力 記号論を超えて』(勁草書房, 1983年)
『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』(筑摩書房, 1984年)
『ヘルメスの音楽』(筑摩書房, 1985年)
ダブル・バインドを超えて』(南想社, 1985年)
(対談集)『「歴史の終わり」と世紀末の世界』(小学館, 1994年)
フォーサイス1999』(NTT出版, 1999年)
(対談集)『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫, 1999年)
『映画の世紀末』(新潮社, 2000年)
(対談集)『20世紀文化の臨界』(青土社, 2000年)
共著 [編集](黒田末寿・佐和隆光長野敬・山口昌哉)『科学的方法とは何か』(中央公論社中公新書], 1986年)
島田雅彦)『天使が通る』(新潮社, 1988年)
松浦寿輝)『ゴダールの肖像』(とっても便利出版部, 1997年)
田中康夫)『憂国呆談』(幻冬舎, 1999年)
柄谷行人)『マルクスの現在』(とっても便利出版部, 1999年)
田中康夫)『新・憂国呆談 神戸から長野へ』(小学館, 2000年):1999年東京都知事選挙について言及している。加藤紘一からの金が栗本慎一郎経由で舛添要一に渡っていた疑惑について言及している。
佐和隆光)『富める貧者の国 「豊かさ」とは何だろうか』(ダイヤモンド社, 2001年)
四方田犬彦大野裕之)『パゾリーニルネサンス』(とっても便利出版部, 2001年)
田中康夫)『憂国呆談リターンズ 長野が動く、日本が動く』(ダイヤモンド社, 2002年)
柄谷行人岡崎乾二郎奥泉光島田雅彦・絓秀実・渡部直己)『必読書150』(太田出版,2002年)
田中康夫)『「ニッポン解散」 続・憂国呆談』(ダイヤモンド社, 2005年)
共編著 [編集](岡崎乾二郎松浦寿夫)『モダニズムのハード・コア 現代美術批評の地平』(太田出版, 1995年)
渡邊守章渡辺保)『表象文化研究 文化と芸術表象』(放送大学教育振興会, 2002年)
訳書 [編集]メアリー・ダグラス, バロン・イシャウッド『儀礼としての消費 財と消費の経済人類学』(新曜社, 1984年)
連載 [編集]憂国呆談 ソトコト(2008年1月号-)
受賞歴 [編集]1984年、『逃走論 スキゾキッズの冒険』の「スキゾ・パラノ」と言うキーワードで、第一回新語・流行語大賞新語部門銅賞を受賞する。
関連項目 [編集]ニューアカデミズム
記号論
ポストモダン
構造主義
ポスト構造主義
フランス現代思想
ソーカル事件
柄谷行人
蓮實重彦
東浩紀
毛利嘉孝
福原伸治
市田良彦
坂本龍一
京都大学
京都造形芸術大学
ダムタイプ
大野裕之
註 [編集]1.^ その総目次はhttp://www36.atwiki.jp/aabiblio/pages/2.html
2.^ たとえばスラヴォイ・ジジェクは、「批評空間」で日本ではじめて特集記事が組まれ、青山真治の映画「EUREKA」も浅田の評価がきっかけとなった。
3.^ その対話は多く『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)や、磯崎新との共同編集「ANY」シリーズ(NTT出版)に収められている。
4.^ 浅田彰 「『山形道場』の迷妄に渇!」
外部リンク [編集]関連サイト(公式)

京都造形芸術大学大学院
京都大学経済研究所
近畿大学国際人文科学研究所
田中康夫浅田彰の続・憂国呆談週刊ダイヤモンド」連載の対談
浅田彰のドタバタ日記「REALTOKYO
批評空間【浅田彰アーカイヴ】
関連サイト(その他)

ICC HIVE NTT InterCommunication Centerでのシンポジウム記録(2006.6.10)
浅田彰の言説を追う Following the discourses of Mr.ASADA Akira
哲学の劇場
浅田彰書誌
読売新聞インタビュー
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三島由紀夫

三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日)は、日本の小説家・劇作家。戦後の日本文学を代表する作家の一人である。晩年

柄谷 行人(からたに こうじん、1941年8月6日 - )は、日本の文芸評論家、思想家。本名は、柄谷 善男(よしお)。兵庫県尼崎市出身。

筆名は夏目漱石の小説『行人』にちなむ、と一般に言われるが、本人は、否定。トイレで「kojin」という語感と響きから偶然に思いついたという[1]。

「国家」「資本」「ネーション」とは区別されるものとして、「アソシエーション」という言葉を、近年では強調している。それにもとづき、2000年6月にはNAM(New Associationist Movement)を立ち上げる(2003年1月解散)。

2003年にMIT出版から『Transcritique on Kant and Marx』[9]を刊行。

2004年に岩波書店から定本柄谷行人集(全5巻)[10]を刊行。英語やその他の言語に翻訳された著作・論文のみを選定し、今までの仕事を「定本」としてまとめた。

2006年に岩波新書から『世界共和国へ』[11]を出版。なお「世界共和国」という言葉はカントの『永遠平和のために』(1795)からとられている。

2007年10月アメリスタンフォード大学での講演をYouTube[12]で見ることができる。

2010年6月岩波書店から『世界史の構造』を出版した。

目次
1 経歴
1.1 1960 - 70年代
1.2 1980 - 90年代
1.3 2000 - 04年
1.4 2005年 -
2 人物
3 批判
4 略歴
5 受賞歴
6 著書
6.1 文学
6.2 哲学
6.3 共著
6.4 編著
6.5 共編著
6.6 選集
7 脚注
8 参考文献
9 外部リンク
10 関連項目・人物

経歴 [編集] 1960 - 70年代 [編集]1969年、夏目漱石を主題とした「意識と自然」で第12回群像新人文学賞評論部門を受賞[2]。文芸批評家としてのキャリアをスタートさせる。当時20歳で無名のすが秀実はデビュー前から柄谷のことを知っており(60年安保全学連のアクティビスト〔当時最年少〕としてであろう・柄谷は西部邁とよく全共闘を見物に行ったという)、文芸評論家としてデビューするなんて、変な人だな、と思ったという。[要出典]20代の柄谷は、吉本隆明の影響を強く受け[3]、学生のころはわざわざ吉本の家の近くにすんでいたこともある。また、評論に夏目漱石を選んだのは、『漱石とその時代』等の漱石論・保守派的な論客で知られる江藤淳に読んでもらいたかったからだという。柄谷は若い頃には江藤淳の文章を筆写して文章の練習をしていた。1975年にアメリカ・イェール大学で日本文学の講義を受け持ったのは江藤淳の推挙である。

文芸批評家としては「内向の世代」(古井由吉後藤明生)を擁護。また中上健次とは、デビュー前から友人であり、その作品の終生における同伴者となる。中上の死の時には弔辞も読んでいる[4]。また、デビュー以来の漱石論は断続的に執筆し続け、作品論としては『草枕』『門』『三四郎』『明暗』『道草』『それから』『虞美人草』を新潮文庫版のそれぞれの解説に執筆している[5]。

1973年新左翼運動衰退のメルクマールとなる連合赤軍事件を暗に主題とした「マクベス論」を発表。以降「内面への道が外界への道である」[6]として、文芸批評の枠を超え、理論的(再)吟味を中心とした仕事を数多く行うこととなる。その中心にすえられたのが、価値形態論を中心としたマルクス資本論』の読み直し・再解釈である。それは目論見的には、いままでのマルクス・レーニン主義の視点からでないマルクスを発見する、そして新たな連帯・コミュニケーションの形を見つけ出す、ということであった。

1973年「マルクスその可能性の中心」連載を『群像』で開始(1978年出版)。また1975年には、アメリカ・イェール大学で、ポール・ド・マンと出会う。1980年代に有名となった、文芸理論としてのディコンストラクション、イェール学派のド・マンを通して、1978年には哲学の脱構築ジャック・デリダにも出会った。

その理論的仕事は、メディアとしては三浦雅士編集長下の『現代思想』(1973 - )(青土社)に発表されることも多く[7]、蓮實重彦とともに1983年浅田彰『構造と力』で始まる「現代思想ブーム」「ニューアカデミズム」の一端を70年代において準備した。三浦は柄谷の『心理を越えたものの影ー小林秀雄吉本隆明』[8]で、「同時代人を発見した」と思ったという。『現代思想』では70年代、柄谷が、その当時注目の言論人と、対談を多く務め[9]、三浦は柄谷を雑誌の方向性の中心に据えたという[10]。

1980 - 90年代 [編集]80年代、立て続けに『隠喩としての建築』『言語・数・貨幣』『探究?』『探究?』と発表。いわゆる「構造主義」「ポスト構造主義」の理論的再吟味とマルクス資本論』の価値形態論の再吟味を同時に行う仕事を行った。その仕事は1995年『Architecture as Metaphor』としてまとめられ、英語版が出版された(2003年の岩波版『隠喩としての建築』はその和訳である)。日本における80年代消費社会とポストモダニズムの安易な結合を批判した『批評とポストモダン』(1984)と合わせ、その仕事は80年代、一世を風靡した。例えばこの時期、大岡昇平は、『批評とポストモダン』に小林秀雄のデビュー作「様々なる意匠」の再来を見出し[11]、東浩紀は、これを柄谷の作品で最も優れたものと、2000年代になって評した[12]。

1986年にはフランスポンピドゥー・センターで「前衛の日本」という大展覧会に付随したシンポジウムに、蓮實重彦浅田彰とともに出席した。

『探求?』連載終了後の1988年から、数回の中断をはさみながらも、雑誌『思潮』『批評空間』を浅田彰とともに主宰(2002年まで)。スラヴォイ・ジジェクを日本ではじめて本格的に紹介し特集をくむなど、浅田彰の国際的な編集能力に助けられて、88年 - 91年の冷戦構造の崩壊という歴史的事件に耐えうる、高度な理論誌を実現した。この雑誌でしか読めない貴重な論文・インタビューも多い[13]。アドバイザリー・ボードには、エドワード・サイード岩井克人鈴木忠志らが名を連ねた。また若手批評家として東浩紀を生み出した。柄谷本人は、この雑誌を中心に、これまでの、構造と実存、あるいは個別性と単独性、一般性と普遍性の区別、についての議論を、カント再吟味という形に移行させて、90年代は継続させた。

また1990年代は、ポストモダン建築・脱構築主義建築の代表的作家である、磯崎新ピーター・アイゼンマン、イグナシ・デ・ソラ・モラレスが主宰した、建築と多領域の対話の場としての国際会議Any conference[13](1991 - 2000)に参加。デザインや建築といった分野でも、脱領域的に読まれることとなる。ロサンジェルスで行われたANYの第1回目の会議の最初のパネルでは、デリダと一緒に壇上に並んだ。

1995年には、カリフォルニア大学アーバイン校で、「エクリチュールナショナリズム」[14]という論文を「人文科学の言説に関する国際会議」で発表。デリダがコメンテーターを務めた[14]。

1991年には、日本の湾岸戦争関与に反対してアピールする文学者たち[15]の中心人物として、運動を主導した。

1994年、法政大学の国際文化学部新設の取り下げに反対して、教員によるロックアウトを行う。なお、法政大学では第一教養部に所属し、英語を担当しており、文学部の所属ではなかった。

2000 - 04年 [編集]2001年、『トランスクリティーク カントとマルクス』を、その前年に自らも関わって立ち上げた生産者協同組合である、批評空間社[15][16]から出版、その内容をもとに、2000年6月、アソシエーション=「国家と資本への対抗運動」の活動、NAM(New Associationist Movement)[17][18]を立ち上げる。『NAM原理』(2000・太田出版)は、WEB上で、その内容が公開されながらも、当時1万7千部以上売れた。著名な複数のエコロジー活動家など、多数のものが参加し、最大700人の会員数を数えた[19]。2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件発生した際、NAMのサイトに「テロにも報復戦争にも反対する」という旨の声明が出た。なお、『批評空間』のWEBサイト上で、9.11同時多発テロに対する柄谷行人のコメントとして「これは予言ではない」と題する文章が掲載された[16]。

2001年12月にはWEB上でのヴァーチャルな取引を、制度設計として組み込んだことを目玉とする地域通貨Q[20]を、NAMとは独立した任意団体として、西部忠を中心に立ち上げた。当初の予定では、批評空間社も、このQに参入し、そのproductsを部分的にQ支払い可能にさせ、出版・メディア、そして最終的には流通一般そのもの、の既成の成り立ちを、徐々に変革していくことが目指されていた。第3期批評空間創刊記念シンポジウムでは、建築や芸術のジャンルから磯崎新岡崎乾二郎らがパネリストとして並び、地域通貨Qによる流通の変革への期待が述べられた。しかし、人間関係の軋轢、未知の問題点の噴出、ネット上でのコミュニケーションからおこる通信上の混乱などで、NAMは2003年1月に早々と解散。あるいは柄谷が「身も蓋もなく潰」した[17]。批評空間社も社長兼『批評空間』の編集者の内藤祐治の死(2002年春)を契機に解散した[21]。

トランスクリティーク』自体は2003年NAM解散後、MIT(マサチューセッツ工科大学出版)から英語版が出版された。ジジェクはこれを、「必読の書」と評した[18]。ジジェクは、その中で、しかしながら、柄谷のカント読解がヘーゲルによるカント批判を軽視しているのではないか?商人資本の強調が労働価値説の位置を不確かなものにしているのではないか?地域通貨という解決策にも疑念が残るのではないか?と最後に、羅列的かつ疑問符の形ではあるが指摘している[19][20]。また日本語版としては、岩波書店から柄谷行人集第三巻『トランスクリティーク』(2004)と言う形で第2版が出された。なお柄谷のカント読解は、初版出版時、岩波新カント全集監訳者の坂部恵から高い評価を受けている[21]。

また、柄谷は自身の「トランスクリティーク」という言葉を、ガヤトリ・C・スピヴァクの「プラネタリー」という言葉と親和性が高い、としている[22]。プラネタリー(惑星的)とはスピヴァクによると グローバリゼーション(地球全域化)という言葉への「重ね書き」」[23]として提案された。実際、短い期間であった近大人文研所長時代の、研究所のキャッチフレーズは「プラネタリー(惑星的)な思考と実践」「芸術とは何かを発見する術であり、認識を新たにする術であり、社会の生産のあり方をも変革する力、すでに存在する事物の再生産ではなく、まだ認識もされなかった事物を新たに見出し生み出す力、さらにその新たな事物を交換、流通させていくメディアの創設、社会関係の構築」であった。

2004年5月には近畿大学人文研での講義をもとにした『近代文学の終わり』[24]を早稲田文学[25]に発表。「若い人は「文学」をもうやらなくて結構です。かつての「近代文学」と持っている意義は同じだけど、何か、違うことを実現してください」という意のことを述べた。柄谷は、事実上この前後から、文芸批評を行っておらず、このジャンルから撤退同然である。別の場所では「これまでのスタンスのままで「文学」をいうことはできない。文学を続けたかったら、むしろそれを否定しなければならない」[26]とも述べている。

2004年11月には、京都大学で、この年の10月9日に亡くなったデリダの追悼シンポジウムに参加[27]。その中で「トランスクリティークとはディコンストラクションの否定ではなくその徹底化であると考えてもらってもいい」と述べた。

また同じく2004年に岩波書店から定本柄谷行人集(全5巻)[22]を刊行。英語やその他の言語に翻訳された著作・論文のみを選定し、今までの仕事を「定本」としてまとめた。

2005年 - [編集]2005年4月から朝日新聞の書評委員[23]。

2006年3月に[近畿大学国際人文科学研究所][24]所長を、副所長で、坂口安吾研究者の関井光男(柄谷とともに新坂口安吾全集を編集)とともに辞任。2006年1月19日の公開最終講義以降、外国を含め、大学においてゼミは行っていない。現在は自宅近くで、半年に一度、長池講義[25]という無料の公開講義を行っている(2007年11月より)。

2006年4月には「21世紀の教養新書」として再出発[28]することになった岩波新書赤版から刊行数1001点目・装丁リニューアル第1弾として『世界共和国へ』を出版。なお「世界共和国」という言葉はカントの『永遠平和のために』(1795)からとられている。

近年は佐藤優(『獄中記』)[26]や宮崎学(『法と掟と』)[27]への評価が高い[29]。柄谷のアソシエーション=「国家への対抗」が必然的に国家の法・実定法と緊張関係に入る、あるいは、それとは一定程度独立した自治的空間の創出を目指すことになる、ことから、さまざまな具体的な模索をしていることの一環(宮崎学「掟」への高評価・中間団体(丸山真男)の評価)[28]だと思われる[30]。またヴィトゲンシュタインやオースティン、ハーバート・ハートの流れを汲む英米法哲学の主流派の一人、ジョン・ロールズ(『正義論』『万民の法』)をカント的理念を法に持ち込むものとして、高く評価している。

なお、ネグリ=ハートのマルチチュード(有象無象)論に関しては、「二元性(帝国(グローバルな資本主義)対マルチチュード)は、諸国家の自立性を捨象する時にのみ想定される」[29]、つまり国家を軽視している、と懐疑的である。とはいえ、90年代終わり「『トランスクリティーク』を書いた時点では、(…)ネグリらの観点と似たものを持っていた」「グローバルな資本主義の深化が、ネーション=ステートというものを希薄にすると考え」ていた、とも認めている[31]。

新自由主義リバタリアニズムに関しても、その思潮は、リベラルな外観のもとに、実質的に、国家と資本、政治と経済の結合を強め、国家的統治を強化することにしかならず、しかもそのことを隠蔽する、と批判的である[30]。

現在はフェアトレード事業を行っているオルタートレード[31]の機関誌・季刊『at[32]』(太田出版)において『「世界共和国へ」に関するノート』を連載中。国家論や互酬制・相互扶助論についての原理的な論究を行っている。

2008年1月には『新現実』Vol.5[33](太田出版)で、大塚英志と対談。その中で柄谷は「批評空間の立ち上げはもう無理」「NAMも同じで、違う形ではやるかもしれないが、俺がもう二度とやるとは思うなよ」と述べている。

地球温暖化などの環境問題に関しては、物理学者槌田敦地球温暖化二酸化炭素原因説=原子力発電奨励批判[32]に注目している[33]。同様な趣旨で、2008年4月7日朝日新聞紙上に「科学者の課題は何ですか」という分子生物学福岡伸一氏とのクロストークが掲載された。

早稲田大学2008年4月1日入学式での不当逮捕抗議声明[34](すが秀実の項を参照)に賛同署名している[34]。

2010年6月岩波書店から『世界史の構造』を出版。

人物 [編集]実父は建設会社「柄谷工務店」社長で、善男は次男で、長男が後を継いでいる。
Wikipediaを評価している[35]。
1960年の安保闘争[36]のときには全学連主流派かつ安保ブント[35]の学生活動家であった経歴もあり、一貫して日本共産党とは違った立場の「左翼」を自認している。アナーキストとも自認する。
が、同時に、国家を直接に否定することで、結局、強い国家を呼び起こす、国家やネーションは簡単に超えられない、としてアナーキズムに関して批判的でもある。「実際的には漸進主義」で「現実的には、妥協の人」[36]とも自分を規定する。「資本=ネーション=国家を揚棄するという理念がありさえすれば、実際の立場や方法にはこだわらない」[37]とも自分では述べる。
作家の冥王まさ子は元妻で、彼女の小説にモデルとして登場している[38]。柄谷は彼女の死後、再婚している。
筒井康隆中上健次とともに日本文芸家協会を1990年に退会しているが、その際「入会してから一度も会費を払ったことがない自分に退会の資格はあるのか」と最初は退会を逡巡していた。しかし中上に「名簿に名前が載っている以上、退会は可能である」と促され、最終的には二人に同調することとなった。[39]
阪神タイガースのファン。野球をプレイするのも好きで、80年代、蓮實重彦中上健次らと「カレキナダ」という草野球チームを作っていたことがある[40]。
批判 [編集] この節で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。ご存知の方は加筆をお願いします。このタグは2010年9月に貼り付けられました。

1980年の『日本近代文学の起源』における「『文学』という概念は歴史的にもともとあったものではなく、近代になって『源氏物語』や井原西鶴などが、『文学史』として再発見され、作りだされた」といった議論は、大きな影響力をもった。その後、「○○は近代になって、人工的に産み出された概念である」というように、様々な論者によって流用されてきた。[41]しかし1978年に『日本近代文学の起源』が『季刊藝術』に連載されていた時点で、亀井秀雄が『群像』での連載「感性の変革」において、「起源」の同定作業が不徹底であるなど厳しく批判した。が、柄谷は応答しなかった。さらにアリエス『<子供>の誕生』の剽窃だとする批判もあるが、本人は読んだことがない、と否定している[42]。

また柄谷は『新潮』1993年11月号掲載の「柄谷行人氏と日本の批評」と題された文章で、文芸評論家の福田和也から批判を浴びた。福田は(柄谷の)「文意に異議と反発を覚えながらも、私は、文の力に圧倒されてしまう事を認めざるを得ない」という言葉ではじめ、「にもかかわらず、最終的に柄谷氏の仕事は批評とはいえない」で終える。福田は徹底的に抽象化されつつもそこに柄谷の主張が刷り込まれたタームを「柄谷語」と表現する[43]。またたとえば「外部」「交通」という柄谷が重視する「柄谷語」についても、柄谷はまったく「外部」にも「交通」の場にも身をおいていないと批判する。それは柄谷がしばしば援用する小林秀雄の態度とはまったく違うものだという[44]。福田によればそれは、柄谷が過激さを装いつつ、中上健次も読者も批判したことがないことに端的に現れている[45]。さらには「論理の展開はアクロバティックであるのに」、そこから導き出されているのは「月並な守旧的主張にすぎない」とする[46]。福田和也による批判は次の言葉で締めくくられている[47]。

“ これまでと同様に柄谷氏は、文芸批評者の大勢を追って右にも左にも大胆に立場を変えるだろう。その時々の読者の前で、華麗な思考を上演して見せ、常に文芸の正しい水先案内人であり続けるだろう。だが肝心の読者たちは、いつまでも氏の子守歌を求め、耳を傾けるのだろうか。 ”
略歴 [編集]1960年 - 甲陽学院高等学校卒業。
1965年 - 東京大学経済学部卒業、同大学院英文科進学、英文科の同級生だった原真佐子(後の作家・冥王まさ子)と結婚。
1967年 - 修士課程修了
1968年 - 日本医科大学専任講師。
1970年 - 法政大学第一教養部専任講師。
1971年 - 助教授。
1975年 - 教授( - 1994年)。イェール大学東アジア学科客員教授 ( - 1977年)。ポール・ド・マンと知り合う。また、やはりイェール大学にいた、岩井克人水村美苗夫妻とも知合う。
1980年 - イェール大学比較文学科客員研究員( - 1981年)。
1983年 - コロンビア大学東アジア言語文化学科客員研究員( - 1984年)。
1990年 - カリフォルニア大学アーバイン客員教授コロンビア大学比較文学客員教授永山則夫の入会申請を日本文芸家協会が拒否したため、これを批判して、筒井康隆中上健次とともに協会を脱退。
1991年 - コーネル大学客員教授( - 1992年)。日本の「湾岸戦争関与」に反対して、中上健次川村湊田中康夫高橋源一郎いとうせいこうらと、「『「文学者」の討論集会』アッピール」を発表。
1994年 - 近畿大学文芸学部特任教授。
1995年4月21日 - 元妻の冥王がカリフォルニア州サクラメントの病院で動脈瘤破裂のため急逝。
2000年 - NAMを創設。
2002年 - 近畿大学教授・国際人文科学研究所所長( - 2006年)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員教授
2003年 - NAMを解散。
2006年 - 近畿大学国際人文科学研究所所長・教授を辞任。
受賞歴 [編集]1969年 - 「〈意識〉と〈自然〉 漱石試論」で第12回群像新人文学賞
1978年 - 「マルクスその可能性の中心」で第10回亀井勝一郎賞。
1996年 - 「坂口安吾中上健次」で第7回伊藤整文学賞
著書 [編集] 文学 [編集]『畏怖する人間』(トレヴィル、1972年 / 講談社講談社文芸文庫]、1990年)
夏目漱石小林秀雄吉本隆明古井由吉江藤淳芥川龍之介高橋和巳、マルコ伝、大江健三郎安部公房鮎川信夫らを論じる。
『意味という病』(河出書房新社、1975年 / 講談社講談社文芸文庫]、1989年)
島尾敏雄庄野潤三志賀直哉森鴎外らを論じる。
マルクスその可能性の中心』(講談社、1978年 / 講談社学術文庫、1990年)
表題のマルクス論の他、夏目漱石武田泰淳らを論じる。
『隠喩としての建築』(冬樹社、1979年 / 講談社講談社学術文庫]、1989年)
表題の理論的仕事の他に、 サイバネティックスや、中上健次らを論じる。
日本近代文学の起源』(講談社、1980年 / 講談社文芸文庫、1988年 / 岩波現代文庫、2008年)
国木田独歩の作品を通じて、明治20年代におこった、言文一致運動を「風景の発見」として論じる。
『批評とポストモダン』(福武書店、1985年 / 福武文庫、1989年)
中上健次梶井基次郎、『資本論』、森敦、唐十郎らや、エイズを論じる。
『終焉をめぐって』(福武書店、1990年 / 講談社講談社学術文庫]、1995年)
村上春樹中上健次大江健三郎三島由紀夫らを89年から91年の冷戦構造の崩壊に絡めて論じる。
『反文学論』(講談社講談社学術文庫]、1991年)
1977年から78年にかけて『東京新聞』夕刊に連載された、唯一の文芸時評をまとめたもの。
漱石論集成』(第三文明社、1992年 / 平凡社平凡社ライブラリー]、2001年)
断続的に書き続けた夏目漱石に関する論考を一冊にまとめる。
Origins of Modern Japanese Literature, trans. and ed. by Brett de Bary, Duke University Press, 1993 (英語)
坂口安吾中上健次』(太田出版、1996年 / 講談社文芸文庫、2006年)
『差異としての場所』(講談社講談社学術文庫]、1996年)
『日本精神分析』(文藝春秋、2002年 / 講談社学術文庫、2007年)
表題の論考のほか、芥川龍之介谷崎潤一郎菊池寛らを論じる。
近代文学の終わり・柄谷行人の現在』(インスクリプト 2005年)
近代文学の終わり」に関する講演のほか、二葉亭四迷の翻訳の問題について論じる。
哲学 [編集]『ダイアローグ』?〜?(冬樹社、1979年 / 第三文明社、1987年 - 1991年)
『内省と遡行』(講談社、1985年 / 講談社学術文庫、1988年)
『探究I』(講談社、1986年 / 講談社学術文庫、1992年)
『探究II』(講談社、1989年 / 講談社学術文庫、1992年)
『言葉と悲劇』(講談社講談社学術文庫]、1993年) 講演集。
『ヒューモアとしての唯物論』(筑摩書房、1993年 / 講談社講談社学術文庫]、1999年)
『〈戦前〉の思考』(文藝春秋、1994年 / 講談社講談社学術文庫]、2001年)
憲法湾岸戦争、国家、民族、議会制民主主義などを論じた講演集。
Architecture as Metaphor, The MIT Press, 1995 (英語)
日本語版の『隠喩としての建築』『内省と遡行』『探究?、?』を一冊にまとめる。定本柄谷行人集の『隠喩としての建築』はこれの翻訳。
『倫理21』(平凡社、2000年 / 平凡社ライブラリー、2003年)
天皇制、東京裁判丸山眞男昭和天皇の戦争責任、教育、宗教、酒鬼薔薇事件などを論じた、初の書き下ろし。
トランスクリティーク――カントとマルクス』(批評空間、2001年)
柄谷行人初期論文集』(批評空間、2002年インスクリプトから2005年に再版)
文芸批評家としてデビュー以前に、発表された論考を収める。
Transcritique : On Kant and Marx, The MIT Press, 2003 (英語)
『世界共和国へ――資本=ネーション=国家を超えて』(岩波書店岩波新書]、2006年)
柄谷行人 政治を語る』聞き手 小嵐九八郎(図書新聞、2009年)
『世界史の構造』(岩波書店、2010年)
共著 [編集](中上健次)『小林秀雄をこえて』(河出書房新社、1979年)
笠井潔)『<現在>との対話(1)ポスト・モダニズム批判――拠点から虚点へ』(作品社、1985年)
蓮實重彦)『闘争のエチカ』(河出書房新社、1988年)
岩井克人)『終わりなき世界――90年代の論理』(太田出版、1990年)
小池清治・小森陽一芳賀徹亀井俊介)『漱石をよむ』(岩波書店、1994年)
(絓秀実・福田和也富岡幸一郎大杉重男・清水良典)『皆殺し文芸批評――かくも厳かな文壇バトル・ロイヤル』(四谷ラウンド、1998年)
浅田彰市田良彦・小倉利丸・崎山正毅)『マルクスの現在』(とっても便利出版部、1999年)
浅田彰岡崎乾二郎奥泉光島田雅彦・絓秀実・渡部直己)『必読書150』(太田出版、2002年)
編著 [編集]『シンポジウム』(思潮社、1989年 / 太田出版、1994年)
『近代日本の批評』(福武書店、1990年 / 講談社講談社文芸文庫]、1997年)
『可能なるコミュニズム』(太田出版、2000年)
共編著 [編集](蟻二郎・森常治)『現代批評の構造――通時批評から共時批評へ』(思潮社、1971年)
渡部直己)『中上健次と熊野』(太田出版、2000年)
選集 [編集]『定本柄谷行人集』(岩波書店、2004年)
日本近代文学の起源
「隠喩としての建築」
トランスクリティーク――カントとマルクス
「ネーションと美学」
「歴史と反復」
脚注 [編集][ヘルプ]
^ 「文学と運動−2000年と1960年の間で」(インタビュー)2001年『文学界』1月号
^ 選考者は江藤淳大江健三郎野間宏安岡章太郎
^ 吉本隆明は、1980年代〜90年代、自分を批判した浅田彰柄谷行人蓮實重彦に対して、他者や外部としての「大衆」をもたず、知の頂を登りっぱなしで降りてこられない(親鸞でいうところの「還相」の過程がない)「知の密教主義者」として、「知的スノッブの三バカ」「知的スターリニスト」と激烈に応答した(『情況への発言全集成3(洋泉社2008)』p200p278p338)柄谷行人に関しては、1989年時点で、「せっかくブント体験をもってるのに」「最低のブント崩れ」とも評している(『情況への発言全集成3(洋泉社2008)』p226参照)。ただし2005年になって、吉本は「今は、どう動くかを考える段階、考えて具体的なものをだすべき段階」「いつまでもつまらない世代論を論じている場合じゃない。そんなことにはあまり意味がない」として、まだ「若くて政治運動家としての素質もやる気がある」人間として、柄谷行人を唯一、例として名前を出し、「やってほしいこと、やるべきこと」の注文をつけている(『時代病』( ウェイツ, 2005)あとがきp204参照。なお親鸞の「還相」を、吉本隆明は2002年『超戦争論』においては、「視線の問題」である、としている。吉本は、「親鸞が還相ということでいっているのは、物事を現実の側、現在の側から見る視線に加えて、反対の方向からー未来の側からといいましょう、向こうのほうから、こちらを見る視線を併せ持つってことだというふうに僕は考えています。こちらからの視線と、向うからの視線、その両方の視線を行使して初めて、物事が全面的に見えてくるというわけです。」と述べている(『超・戦争論』(2002アスキーコミュニケーションズ)下巻pp230参照)
^ 「朋輩中上健次」『文学界』1992年10月
^ これら漱石に関する論考は、2001年平凡社ライブラリー版『漱石論集成』に ほぼ全て収められている)
^ 「内面への道と外界への道」:『畏怖する人間』収録
^ 『内省と遡行』(1980連載)『形式化の諸問題』(1981)等。三浦雅士が『現代思想』編集から離れたときには『「現代思想」と私』(1981.12)という短いエッセイを捧げている
^ 1973『畏怖する人間』収録
^ 多くは『ダイアローグ』の?・?に収録されている
^ 「意識と自然」からの思考― 三浦雅士との対談『ダイアローグ?』
^ 「政治化した私」をめぐって― 大岡昇平との対談『ダイアローグ?』
^ 「誤状況論」『文学環境論集 東浩紀コレクションL』2007
^ 『批評空間』については、公式サイト内のページで全目次を閲覧できる。“編集雑誌”. 柄谷行人. 2011年6月23日閲覧。
^ 『ヒューモアとしての唯物論』収録
^ 署名したものにはいとうせいこう川村湊島田雅彦高橋源一郎田中康夫津島佑子中上健次吉田司らがいる。
^ 「どうか、皆さん、国家と資本が煽動する愚かな興奮の中に呑み込まれたり、右顧左眄・右往左往することはやめてもらいたい。そうすれば、三、四年後に確実に後悔するだろうから。その逆に、「戦後」に向けて、着々と準備をすることを勧めたい」(出典:批評空間WEBサイト)。なおこれには、大塚英志による批判がある。大塚は『小説トリッパー』2001年冬季号に掲載された「それはただの予言ではないか──「戦時下」の「文学」について──」(のちに角川文庫・『サブカルチャー反戦論』に再録)という文章において、柄谷の「今は右往左往せず、戦後に備えた方がいい」という主旨の呼びかけに対し、「戦時下の今こそ、言葉を発するのが文学者としての責務ではないか」と述べている(角川書店の『同時多発テロ以後のガイドブック』でも大塚は同様の発言をしている)。
^ 「「努力目標」としての近代を語る」『新現実05』2008での大塚英志の表現。p39参照。なお大塚は、柄谷のNAM解散断行を肯定している。一方、批評空間社の共同出資者であり、『批評空間』の執筆者であった、鎌田哲哉らが、NAM・柄谷行人に批判的・総括的な視点・運動の再生という視点(鎌田は2003年4月発行の『重力02』において、「運動が崩壊したときに本当は運動が始まる。「重力」出版会議が始動して、年に何冊か本が出て、Qで流通するようになったらかっこいい」と述べている(P41)。)から『重力03 Q-NAM問題』を出版しようと2003年秋から試みるが、2009年現在、実現されていない。鎌田のNAM・柄谷批判としては、WEB上で『京都オフライン議事録・西部柄谷論争の公開[1]』(2003.11)を、結論が未完と言う形ではあるが、読むことができる。そのなかで議事録が一部公開されている。なお、解散直前のNAMに関しての柄谷の詳細な言及は、2002年11月韓国嶺南(ヨンナン)大学での講演記録[2]雑誌『緑色評論』のwebで読むことができる。
^ 『『The Parallax View』(MIT)2006 『思想』2004年8月号に『視差的視点』として翻訳あり
^ この点に関しては、柄谷自身による朝日新聞におけるジジェクの『パララックス・ビュー』の書評で簡潔な反論を試みており、自身のサイトにおいて再録している。http://www.kojinkaratani.com/jp/bookrv/post-49.html 【初出】:2010.3.7 朝日新聞書評欄
^ また、トルコ人批評家アフメット・オズによる柄谷行人インタビュー(『at プラス02』(2009、p101)に詳しくこのジジェクの指摘に関する実情が掲載されている。
^ 柄谷・板部の対談「カントとマルクス―『トランスクリティーク』以後へ」『群像』2001.12
^ 2004年10月27日朝日新聞『プラネタリーな抵抗』
^ 『ある学問の死−惑星思考の比較文学へ』みすず書房2004
^ 『近代文学の終わり・柄谷行人の現在』2005インスクリプト収録
^ 「早稲田文学」(第9次)は柄谷論文の掲載号(2004.5)から2005年5月の第9次休刊まで、「近代文学の終わり」という特集のもとに、刊行を続けた。
^ 「Re-membering Jacques Derrida」2005年2月『新潮』
^ 他に鵜飼哲浅田彰がシンポジウム出席者/ 京都大学現代思想自主ゼミ主催:2005年2月『新潮』に「Re-membering Jacques Derrida」として採録
^ そのキャッチコピーは「変わりますが変わりません」だった
^ 2006・2007年度書評委員「お勧めの三点」[3][4]:朝日新聞
^ 『丸山真男とアソシエーショニズム』「思想」2006.8
^ 座談会「『世界共和国へ』をめぐって」『at』4号[5]:2006
^ 『エコロジー神話の功罪』ほたる出版、「エントロピー論から見た農業」『at』6号[6]「温暖化の脅威を語る気象学者のこじつけ論理」『at』11号2008[7]
^ 『at』6号2006「『世界共和国へ』に関するノート」(2)p137脚注の部分に柄谷による槌田敦の提言の詳しい要約がある
^ 2008年8月、現行の大学改革に関して、書評に絡み、「アメリカでは、大学教育をより効率的にするために、ムダと見える学問、特に、人文学を切り捨ててきた。日本でもその真似(まね)をしている。(…) 本書の原題は「暗黒時代が近づいている」という意味であるが、暗黒時代とは、ローマ帝国が滅んだあとのゲルマン社会で、ローマの文化がすぐに忘却されてしまったことを指している。そのような事態が現在おこりつつある、という著者の予感に、私は同意する。それをひきおこしているのは、いうまでもなく、グローバルな資本主義である。」[8]と述べている。
^ 全学連主流派を牽引していたのが安保ブント・世界初の共産党からの独立左翼と言われる。
^ 山口二郎中島岳志との対談「現状に切り込むための「足場」を再構築せよ」p30参照『論座』2008.10
^ 山口二郎中島岳志との対談「現状に切り込むための「足場」を再構築せよ」p29参照『論座』2008.10
^  『天馬空を行く』(1985)は1976年夏アメリカ・ニューヘイブン(エール大学所在地)出発のヨーロッパ旅行を小説化したものである。ポール・ド・マンも実名で登場している。文庫版は柄谷が解説を書いている。
^ 筒井康隆『笑犬樓よりの眺望』(新潮社1994)「中上健次が死んだ」
^ ちなみに過去在籍メンバーは、渡部直己、絓秀実、松本健一立松和平高橋源一郎平石貴樹尾辻克彦赤瀬川隼ねじめ正一島田雅彦、など)。東京堂書店セミナーで顔を合わせた時に結成。
^ 李孝徳『表象空間の近代』、ハルオ・シラネ鈴木登美編『創造された古典』など。石原千秋はこれを「つくられた系」の議論と呼んでいる。
^ 『ダイアローグ』参照
^ (福田 1993) pp.201-202
^ (福田 1993) pp.217-218
^ (福田 1993) p.219
^ (福田 1993) p.218
^ もっとも柄谷と福田の仲は険悪というわけではない。たとえば柄谷は福田の著書である『奇妙な廃墟』(ちくま学芸文庫)に解説を寄稿している他、今日に至るまで雑誌上や『批評空間』で対談するなど、むしろ良好といえるほどである。
参考文献 [編集]福田和也柄谷行人氏と日本の批評」新潮1993年11月号 pp.198-219
外部リンク [編集]公式サイト
karataniweb ~KojinKarataniOfficalWebsite~
関連サイト
近畿大学国際人文科学研究所
定本柄谷行人
研究サイト
柄谷行人書誌情報 ■KARATANI-B■
哲学の劇場
定本柄谷行人集総合索引
関連項目・人物 [編集]ポストモダン
フランス現代思想
現代文学
現代思想
文芸理論
中上健次
蓮實重彦 
浅田彰
NAM
イソノミア
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カテゴリ: 日本の哲学者日本の文芸評論家日本の無政府主義者20世紀の哲学者21世紀の哲学者ポストモダン文学脱構築近畿大学の教員法政大学の教員日本医科大学の教員兵庫県出身の人物1941年生存命人物

西部 邁(にしべ すすむ、1939年3月15日 - )は日本の評論家、思想家、雑誌『表現者』顧問、元東京大学教養学部教授。

目次
1 経歴
2 思想
3 受賞
4 雑誌の刊行
5 テレビ出演
6 映画出演
7 エピソード
8 作品
8.1 単著
8.2 共著
8.2.1 一部執筆/インタビュー書籍
8.3 翻訳
8.4 音声・動画作品
9 脚注
10 関連項目
10.1 門下生
10.2 雑誌
10.3 その他
11 外部リンク

経歴 [編集]1939年3月、北海道山越郡の漁師町・長万部町に生まれる[1]。父は浄土真宗派の末寺の末男で農協職員。札幌郡厚別の信濃小学校(この頃、吃りであったと明かしている[2])、札幌市立柏中学校、北海道札幌南高等学校に進学。高校卒業まではマルクスレーニンスターリン毛沢東も知らぬノンポリであった。1957年、東京大学の受験に落ち、その後一年間浪人生活を送る。

1958年4月、東京大学に入学、三鷹寮に入る。同年12月に結成された共産主義者同盟(ブント)に加盟する。在学中の1959年から教養学部自治会委員長を務める。同委員長の選挙の際、西部はブントのメンバーたちとともに投票用紙を偽造してすり替え、共産党員の候補を落選させる[3]。また全学連の中央執行委員も務め、60年安保闘争に参加する[4]。

1961年3月、左翼過激派と訣別する。1964年3月、東京大学経済学部卒業。このころブントの活動家であった青木昌彦の勧めで東京大学大学院に進み、経済学を専攻する。指導教官は嘉治元郎。1971年3月、東京大学大学院経済学研究科理論経済学専攻修士課程修了。1972年、連合赤軍による群馬県榛名山での集団リンチ殺人事件の報道を目にして、そのときまで多少とも左翼に共感していたことへの道徳的反省をせざるをえなくなる。[5]横浜国立大学経済学部助教授、次いで東京大学教養学部助教授に就任する。経済学をはじめとする社会科学の細分化を一貫して批判する。1975年出版の処女作『ソシオ・エコノミックス』では社会学などの方法論を導入して旧来の経済学を批判する。経済行為の象徴的意味の解釈を志向する社会経済学の構築をめざし注目される。その後渡米しカリフォルニア大学バークレー校に在籍。引き続き渡英しケンブリッジ大学に在籍。『蜃気楼の中へ』という英米滞在記を発表した。帰国後80年代から大衆社会批判を主軸とした保守論客として活躍をはじめ、各方面で発言を続ける。高度大衆社会アメリカニズム批判と西欧流保守思想の擁護とを基軸にした評論活動を活発に行う。みずからも受賞したサントリー学芸賞の選考委員を長く委嘱される。1986年、東京大学教養学部教授(社会経済学専攻)に就任する。

1988年、中沢新一東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手)を東京大学教養学部助教授に推薦。委員会は通ったが教授会の採決のとき一部の教官たちの妨害により否決される。同年3月、西部はこれに抗議して東京大学を辞任する(東大駒場騒動)。その後は評論活動を続けるとともに鈴鹿国際大学客員教授秀明大学教授・学頭を歴任。新しい歴史教科書をつくる会に参加し理事の任を引き受けたものの、当初から会の運動とは一定の距離を置いており理事会などへは出席しなかった。西尾幹二が台湾や金美齢を批判したことを巡って西尾との間で論争に発展した。台湾独立派の金美齢は「つくる会」に協力的だった。アメリカニズム、グローバリズム近代主義への批判は従来から西部の思想の中心を占めていたが、アメリカ同時多発テロ事件以降の日本の親米知識人たちのアメリカ追従姿勢に対する批判は西尾や田久保忠衛らとの対立を招く。

2002年、小林よしのりとともに「つくる会」を脱退。以後「産経新聞」、「正論」、「諸君!」などを中心とする日本の親米保守の知識人たちと一線を画し彼らを批判。アメリカのイラク侵攻に大義はないと主張し彼らと対立した。また女系天皇を容認する皇室典範改正を是としたことから「左に回帰した」との批判を受ける。だが、現在も日本の核武装、徴兵制の導入、防衛費の倍増、尖閣諸島の実効支配強化などを主張している。

思想 [編集]西部は『発言者』塾[6]の心得十箇条として、以下のように自らの思想の方向を要約している。

人間を「言葉の動物」と理解する。
言葉の産物としての個人および集団における意味的現象を総合的に解釈する。
意味的解釈という矛盾をはらんだ作業において平衡をとる。
人工言語に傾くものとしての概念・理論と自然言語に傾くものとしての思想・実践とを両立させる。
人生経験、認識活動および政治行動の融合をはかる。
言葉の基礎としての歴史の英知を保守する。
戦後日本を歴史破壊的時代として懐疑する。
異世代および異国人にたいする接近と離反において中庸を守る。
大衆教育(大学)と大衆伝達(マスコミ)が、言葉・解釈・経験・実践・歴史の一切を平板化させていることにたいして、批判を差し向ける。
哲学(真)、宗教(善)、および芸術(美)への関心を絶やさないことによって、虚無主義にたいする防波堤を築く。
受賞 [編集]1983年 『経済倫理学序説』で吉野作造賞を受賞
1984年 『生まじめな戯れ』でサントリー学芸賞を受賞
1992年 評論活動により第八回・正論大賞を受賞
2010年 『サンチョ・キホーテの旅』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞
雑誌の刊行 [編集]1994年4月、真正保守思想を標榜する月刊オピニオン誌「発言者」(西部邁事務所、秀明出版会)を創刊し主幹を務めていたが2005年3月、財政上の理由により廃刊。
1997年の創刊から1998年の休刊まで英文雑誌「JAPAN CURRENTS」(日本国民文化研究所)の総合監修を務める。
2003年7月、「北の発言」を創刊するがその後財政上の理由により廃刊。
2005年より「発言者」の後継誌「表現者」(ジョルダン)が刊行されており西部はその顧問を務めている。
テレビ出演 [編集]東大辞職後はテレビ出演が多くなる。テレビ朝日系列の討論番組『朝まで生テレビ!』の準レギュラーでもあった。
2004年12月から東京MXテレビの『談志・陳平の言いたい放だい』に出演。2005年4月、立川談志野末陳平吉村作治毒蝮三太夫と「談シング5(ファイブ)」を結成。
2008年10月、「談志・陳平の言いたい放だい」の後番組として、西部が司会を務める『続・言いたい放だい』の放送が始まる(2009年1月より番組名を「西部邁ゼミナール〜戦後タブーをけっとばせ〜」と改題)。富岡幸一郎東谷暁がゲストとして何度も出演している。
2008年以降、フジテレビの番組『報道2001』に頻繁に出演し持論を展開した。
2009年4月4日、『西部邁佐高信の学問のすゝめ』(朝日ニュースター)の放送が始まる。近現代史上の著名人についての持論を展開。2010年4月2日に終了。その後好評につきアンコール放送される。
2010年4月3日、「本」をテーマにした対談番組『西部邁佐高信の学問のすゝめ?』(朝日ニュースター)の放送が始まる。
2011年、「映画」をテーマにした対談番組『西部邁佐高信の学問のすゝめ?』(朝日ニュースター)の放送が始まる。
映画出演 [編集]公開年 タイトル 監督
2005年 LEFT ALONE 井土紀州
2009年 ベオグラード1999 金子遊
エピソード [編集]法哲学井上達夫駒場時代に助手であったころ西部から大きな影響を受けた。千葉大学助教授となった井上が論壇に押し上げられたのは、西部がサントリー学芸賞選考で井上を高く評価したことによる[要出典]。
西部は自分の好き嫌いについて次のように述べている[7]。
好き 嫌い
人物 自分 自分
言葉 保守 革新
食べ物 うどん 幕の内弁当
学問 ある種の哲学 あらゆる種類の経済学
芸術 ある種の絵画 最近の文学
スポーツ なし なし
動物 猫 人間と言いたいところだが、なし
宗教 すべての旧宗教と言いたいところだが、なし すべての新興宗教と言いたいところだが、なし
国(人種) まずイタリア、次にイギリスと言いたいが、やはり日本 まずアメリカ、次に韓国と言いたいが、やはり日本

1992年、東京都東村山市憲法記念日の行事として市主催の講演会を開催することになり西部に講演を依頼した。西部が快諾し講演会の開催が決まったところ、一部市民団体などが「改憲を主張する西部氏を市主催行事の講師に招くということは東村山市改憲を支持しているに等しい」等と抗議した。これに対し市は「西部氏は東村山市民なので依頼したのであり市が改憲を主張しようということではない」と説明したが市民団体などはごね続けた。そこで市は護憲派も講師に招こうと考えたが市内には護憲派の著名人がいなかったため南隣の東京都国分寺市に所在する東京経済大学の教授(当時)で護憲派色川大吉に依頼した。色川は「西部さんとは旧知で何度も議論しているので是非参加したい」と快諾。市民団体もごねるのを止め講演会は無事開催されるに至った。
2001年8月、船橋市立西図書館のある司書が同館所蔵の西部の多数の著書などを廃棄基準に該当しないにもかかわらず除籍・廃棄した(船橋市西図書館蔵書破棄事件)。西部はこの件を引き合いに出して次のように言っている。
つい先だって、船橋の市立図書館で、私の書物が一冊を除いてすべてひそかに廃棄されるという扱いを受けたが、次の焚書(ふんしょ)に当たっては、本書(『知性の構造』ハルキ文庫版)がその一冊の例外になるという名誉にあずかれればと切望する。坑儒されてみたいくらいに思っている私がなぜこんなことをいうのか。それは、本書がどこかに残っていれば、その作成に携わってくれた皆様に――単行本を物にしてくれた小山晃一氏を含めて――ささやかな返礼ができると思うからである。

西部邁『知性の構造』ハルキ文庫、2002年、270頁。

2002年、西部は東京西麻布の裏通りにあるイタリアン・レストラン「ゼフィーロ」の地主となった[8]。長男の一明が同レストランのオーナー兼支配人(建て物所有者兼店舗経営者)を務めた。同レストランは2007年4月に閉店。
西部が高く評価している日本人は山本常朝、福澤諭吉夏目漱石坂口安吾、田中美知太郎、福田恆存三島由紀夫などである[9]。
親米派論壇人たちがみずからの輪の中で閉塞してゆく状況にあって姜尚中と対談したり「週刊金曜日」の取材に応じたりと立場の違うものとも積極的に対話しようとする姿勢は際立っている。
西部は自分が念じることおよび自分の生死の意味について次のように述べている。
私の念じるのは、評論家として、次のように思いつつそして死ぬことだけである。

つまり、この人の世にあるのは言葉だけであり、自分という極微の存在は、過去のあまりにも巨大な言葉の集積のうちほんの局所を受け継ぎ、そしてそれにごく僅少の加工をほどこして、死とともに、それを何処の誰とも知れぬ人に手渡す(素振をする)、私の生死の意味はそのことに尽きると思っている。

— 『寓喩としての人生』徳間書店、238頁。

「WiLL」2011年4月号で大相撲の八百長を擁護した[10]。
作品 [編集] 単著 [編集]『ソシオ・エコノミックス 集団の経済行動』 中央公論社、1975年。
『ソシオ・エコノミックス』 イプシロン出版企画、2006年4月。ISBN 4-903145-03-4。
『蜃気楼の中へ 遅ればせのアメリカ体験』 日本評論社、1979年6月。
『蜃気楼の中へ 遅ればせのアメリカ体験』 中央公論社〈中公文庫〉、1985年8月。ISBN 4-12-201246-5。
『経済倫理学序説』 中央公論社、1983年3月。
『経済倫理学序説』 中央公論社〈中公文庫〉、1991年11月。ISBN 4-12-201854-4。
ケインズ岩波書店〈20世紀思想家文庫 7〉、1983年4月。
『大衆への反逆』 文藝春秋、1983年7月。
『大衆への反逆』 PHP研究所PHP文庫〉、1991年4月。ISBN 4-569-56349-X。
『生まじめな戯れ 価値相対主義との闘い』 筑摩書房1984年7月。
『生まじめな戯れ 価値相対主義との闘い』 筑摩書房ちくま文庫〉、1992年1月。ISBN 4-480-02594-4。
『論士歴問 大衆社会をこえていく綱渡り』 プレジデント社、1984年10月。ISBN 4-8334-1238-1。
『幻像の保守へ』 文藝春秋、1985年7月。
大衆社会のゆくえ』 日本放送協会編、日本放送出版協会NHK市民大学〉、1986年7月。
『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー文藝春秋、1986年10月。ISBN 4-16-340990-4。
『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー洋泉社〈MC新書 17〉、2007年6月。ISBN 978-4-86248-149-8。
『大衆の病理 袋小路にたちすくむ戦後日本』 日本放送出版協会NHKブックス 518〉、1987年1月。ISBN 4-14-001518-7。
『批評する精神』 PHP研究所、1987年6月。ISBN 4-569-22038-X。
『貧困なる過剰 ビジネス文明を撃つ』 日本経済新聞社、1987年9月。ISBN 4-532-09450-X。
『貧困なる過剰 ビジネス文明を撃つ』 PHP研究所PHP文庫〉、1991年12月。ISBN 4-569-56435-6。
『大錯覚時代』 新潮社、1987年10月。ISBN 4-10-367501-2。
『剥がされた仮面 東大駒場騒動記』 文藝春秋、1988年7月。ISBN 4-16-342480-6。
『大衆民主主義を疑う』 自由民主党調査局政治資料研究会議〈情報資料 368号〉、1988年11月。
『新・学問論』 講談社講談社現代新書〉、1989年2月。ISBN 4-06-148936-4。
『学者この喜劇的なるもの』 草思社、1989年6月。ISBN 4-7942-0345-4。
『サンチョ・キホーテの眼』 文藝春秋、1989年6月。ISBN 4-16-343340-6。
『批評する精神』続、PHP研究所、1989年8月。ISBN 4-569-52542-3。
ニヒリズムを超えて』 日本文芸社、1989年10月。ISBN 4-537-04986-3。
ニヒリズムを超えて』 角川春樹事務所〈ハルキ文庫〉、1997年11月。ISBN 4-89456-362-2。
『マスコミ亡国論 日本はなぜ“卑しい国”になったのか』 光文社〈カッパ・ブックス〉、1990年4月。ISBN 4-334-00494-6。
『白昼への意志 現代民主政治論』 中央公論社、1991年1月。ISBN 4-12-001988-8。
『マスメディアを撃て』 PHP研究所、1991年2月。ISBN 4-569-52976-3。
戦争論 絶対平和主義批判』 日本文芸社、1991年6月。ISBN 4-537-05003-9。
戦争論 暴力と道徳のあいだ』 角川春樹事務所〈ハルキ文庫〉、2002年2月。ISBN 4-89456-957-4。
『思想史の相貌 近代日本の思想家たち』 世界文化社、1991年6月。ISBN 4-418-91511-7。
『思想史の相貌』 徳間書店〈徳間文庫〉、1997年12月。ISBN 4-19-890809-5。
『私の憲法論 日本国憲法改正試案』 徳間書店、1991年6月。ISBN 4-19-554590-0。
『私の憲法論 真正保守による改正試案』 徳間書店〈徳間文庫〉、1999年5月。ISBN 4-19-891110-X。
『批評する精神』3、PHP研究所、1992年1月。ISBN 4-569-53524-0。
『人間論』 日本文芸社、1992年4月。ISBN 4-537-05012-8。
『人間論』 PHP研究所PHP文庫〉、1996年3月。ISBN 4-569-56837-8。
『批評する精神』4、PHP研究所、1993年2月。ISBN 4-569-53894-0。
『「成熟」とは何か 新政経学のすすめ』 講談社、1993年4月。ISBN 4-06-206429-4。
『リベラルマインド 歴史の知恵に学び、時代の危機に耐える思想』 学習研究社、1993年7月。ISBN 4-05-105638-4。
『日本人の嘘 政治改革からマスコミ世論まで』 光人社、1993年12月。ISBN 4-7698-0669-8。
『歴史感覚 何が保守政治の神髄か』 PHP研究所、1994年6月。ISBN 4-569-54318-9。
『歴史の復権 「文明」と「成熟」の構図』 東洋経済新報社〈日本を考える〉、1994年7月。ISBN 4-492-08554-8。
『死生論』 日本文芸社、1994年11月。ISBN 4-537-05035-7。
『死生論』 角川春樹事務所〈ハルキ文庫〉、1997年5月。ISBN 4-89456-311-8。
『日本とは何か日本人とは何か 正統知識人の驚くべき先見力』第1巻、広済堂出版〈みんなに聞いて欲しい心の物語〉、1995年7月。ISBN 4-331-50490-5。
『世人に言上したきことあり』 新潮社、1996年1月。ISBN 4-10-367502-0。
『現在への証言 平成の世と切り結ぶ』 広済堂出版、1996年2月。ISBN 4-331-50519-7。
『破壊主義者の群れ その蛮行から日本をいかに守るか』 PHP研究所、1996年3月。ISBN 4-569-54969-1。
『思想の英雄たち 保守の源流をたずねて』 文藝春秋、1996年4月。ISBN 4-16-350900-3。
『知性の構造』 角川春樹事務所、1996年7月。ISBN 4-89456-025-9。
『知性の構造』 角川春樹事務所〈ハルキ文庫〉、2002年11月。ISBN 4-7584-3014-4。
『知識人の生態』 PHP研究所PHP新書〉、1996年11月。ISBN 4-569-55365-6。
『「国柄」の思想』 徳間書店、1997年1月。ISBN 4-19-860634-X。
開発経済学研究派遣制度研究報告書. 平成7年度-平成8年度』 大蔵省財政金融研究所研究部、1997年。
『恐慌前夜の独り言』 新潮社、1998年2月。ISBN 4-10-367503-9。
『なぜ「日本売り」は起きたのか 愚かなるかな、改革論者よ』 PHP研究所、1998年3月。ISBN 4-569-55977-8。
『国家と歴史 状況の中で』 秀明出版会〈発言者双書 1〉、1998年4月。ISBN 4-915855-11-2。
『寓喩としての人生』 徳間書店、1998年6月。ISBN 4-19-860864-4。
西部邁の論争の手引き』 日刊工業新聞社〈B&Tブックス〉、1998年9月。ISBN 4-526-04242-0。
『虚無の構造』 飛鳥新社、1999年4月。ISBN 4-87031-366-9。
西部邁の論争ふたたび 対米属国からぬけでる方法』 日刊工業新聞社〈B&Tブックス〉、1999年11月。ISBN 4-526-04470-9。
福澤諭吉 その武士道と愛国心文藝春秋、1999年12月。ISBN 4-16-355800-4。
国民の道徳新しい歴史教科書をつくる会編、産経新聞ニュースサービス、2000年10月。ISBN 978-4-594-02937-1。
ナショナリズムの仁・義』 PHP研究所、2000年12月。ISBN 4-569-61428-0。
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共著 [編集]富岡多恵子 『大衆論 対談』 草思社1984年7月。
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加藤尚武 『烈々豪々(Let's go!)人生学』 理想社、1988年11月。
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栗本慎一郎 『立ち腐れる日本 その病毒は、どこから来たのか』 光文社〈カッパ・サイエンス〉、1991年9月。ISBN 4-334-06062-5。
新野哲也 『正気の保ち方 「繁栄の空虚」からいかに脱するか』 光文社〈カッパ・ビジネス〉、1992年5月。ISBN 4-334-01266-3。
三田誠広 『息子の教育 闘論』 プレジデント社、1994年11月。ISBN 4-8334-1545-3。
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福田和也佐伯啓思・絓秀実 『テロルと国家 徹底討議』 飛鳥新社、2002年4月。ISBN 4-87031-499-1。
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田原総一朗姜尚中愛国心講談社講談社+α文庫〉、2005年7月。ISBN 4-06-256952-3。
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小林よしのり 『本日の雑談』1、飛鳥新社、2004年5月。ISBN 4-87031-608-0。
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中曽根康弘松本健一憲法改正大闘論 「国民憲法」はこうして創る』 ビジネス社、2004年9月。ISBN 4-8284-1144-5。
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金子勝姜尚中金美齢小林よしのり高野孟西部邁・樋口恵子・森本敏 『「愛国心」「国益」とはなにか。 朝まで生テレビ!』 田原総一朗責任編集、アスコム、2004年2月。ISBN 4-7762-0133-X。
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中曾根康弘松井孝典松本健一 『「昭和80年」戦後の読み方』 文藝春秋〈文春新書〉、2005年8月。ISBN 4-16-660458-9。
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弘兼憲史 『本日の雑談』9(第2期 1)、飛鳥新社、2006年6月。ISBN 4-87031-707-9。
鈴木宗男宮崎学 『日本と戦う』 講談社、2006年8月。ISBN 4-06-213506-X。
弘兼憲史 『本日の雑談』10(第2期 2)、飛鳥新社、2006年10月。ISBN 4-87031-723-0。
辻惠 『道義あふれる国へ 「美しい国へ」の欺瞞を撃つ』 イプシロン出版企画、2007年2月。ISBN 978-4-903145-23-5。
中島岳志 『保守問答』 講談社、2008年1月。ISBN 978-4-06-214505-3。
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佐高信 『思想放談』 朝日新聞出版、2009年10月。ISBN 978-4-02-250639-9。
宮崎正弘日米安保50年』 海竜社、2010年1月。ISBN 978-4-7593-1109-9。
波頭亮 『知識人の裏切り どこまで続く、平成日本の漂流』 筑摩書房ちくま文庫 に3-2〉、2010年3月。ISBN 978-4-480-42698-7。
西田昌司佐伯啓思 『保守誕生 日本を陥没から救え』 ジョルダンジョルダンブックス〉、2010年3月。ISBN 978-4-915933-32-5。
一部執筆/インタビュー書籍 [編集]「技術進歩の諸問題」、『現代経済学の展開』 嘉治元郎・村上泰亮編、勁草書房、1971年。
社会学的基礎 経済体制の原型を求めて」、『経済体制論』第2巻、東洋経済新報社、1978年3月。
「異端の経済学――ケインズハイエク」、『1990年代の日本経済』 経済展望談話会編、経済展望談話会〈経済展望談話会セミナー 第11集〉、1985年3月。ISBN 4-13-043026-2。
「知識人と大衆」、『NHK文化講演会』13、NHK編、日本放送出版協会、1986年2月。ISBN 4-14-008471-5。
日本教育会叢書』第14集、日本教育会編、日本教育会、1987年。
ヘーゲル読本』 加藤尚武編、法政大学出版局、1987年3月。
筑紫哲也井上ひさしほか 『若者たちの大神 筑紫哲也対論集』 朝日新聞社、1987年8月。ISBN 4-02-255738-9。
赤瀬川原平市川右近ほか 『百人力新発売 新しい「知」を担う百人一論 ネオ・インテリジェンス宣言』 文春ネスコ、1988年11月。ISBN 4-89036-752-7。
『時代を仕掛ける 田原総一郎と10人の男たち』 田原総一朗編、フジテレビ出版、1989年9月。ISBN 4-594-00460-1。
岡崎久彦 『情報・戦略論ノートpart2 歴史と戦略について』 PHP研究所、1990年2月。ISBN 4-569-52678-0。
西部邁ほか 『天下国家の語り方 日本と世界、政治と経済をめぐる「神話」の検証!』 JICC出版局別冊宝島115〉、1990年。
『知の位相空間 現代の知性13人へのインタビュー集』 井尻千男編著、HBJ出版局、1991年3月。ISBN 4-8337-5063-5。
村上泰亮 『村上さんを偲んで』 出版社不明、1993年8月。
秦野章・平山郁夫 『秦野章の辛口モーニング 話題の対談番組再録』 テレビ東京編、東急エージェンシー出版部、1994年2月。ISBN 4-88497-024-1。
田中美知太郎・山崎正和ほか 『プラトンに学ぶ 田中美知太郎対話集』 日本文芸社、1994年7月。ISBN 4-537-05034-9。
『メディアの迷走 誇りなき報道が国を亡ぼす』 粕谷一希編著、PHP研究所、1994年11月。ISBN 4-569-54504-1。
勝田吉太郎著作集』第8巻、ミネルヴァ書房、1995年1月。ISBN 4-623-02475-X。
佐々木毅吉本隆明ほか 『日本の境位を探る』 四谷ラウンド、1995年10月。ISBN 4-946515-01-1。
小林よしのり 『新・ゴーマニズム宣言』1、小学館、1996年8月。ISBN 4-09-389001-3。
小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言』1、小学館小学館文庫〉、2001年1月。ISBN 4-09-405141-4。
中上健次柄谷行人中上健次発言集成』2、第三文明社、1995年12月。ISBN 4-476-03196-X。
草柳文恵・若杉敬明ほか 『21世紀の郵便局サービスを考える 郵便局ビジョン2010』 アール・エフ・ラジオ日本編、透土社、1997年9月。ISBN 4-924828-52-1。
小林よしのり 『新・ゴーマニズム宣言』2、小学館、1997年3月。ISBN 4-09-389002-1。
小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言』2、小学館小学館文庫〉、2001年1月。ISBN 4-09-405142-2。
谷沢永一松下幸之助 『Voice主要論文集』 PHP研究所編、PHP研究所、1997年12月。ISBN 4-569-55915-8。
大月隆寛岡田斗司夫 『もの書きがTVに出るということ NHK「ナイト・ジャーナル」をくぐりぬけて』 新紀元社、1998年2月。ISBN 4-88317-688-6。
谷沢永一 『人さわがせ』 バンガード社〈本音を語る 2〉、1998年6月。ISBN 4-915599-13-2。
爆笑問題・宮本政於ほか 『爆笑問題のピープル』 幻冬舎、1998年6月。ISBN 978-4-87728-233-2。
爆笑問題・宮本政於ほか 『爆笑問題のピープル』 幻冬舎幻冬舎文庫〉、2001年8月。ISBN 4-344-40150-6。
岸本裕紀子 『日本の母』 廣済堂出版、1998年8月。ISBN 4-331-50646-0。
矢内裕幸・森毅ほか 『怖いもんなし23人の喋るぞ! 闘う文化人のガクモンのすすめ』 旺文社、1999年4月。ISBN 4-01-055007-4。
加地伸行小浜逸郎 『この思想家のどこを読むのか 福沢諭吉から丸山真男まで』 洋泉社〈新書y〉、2001年2月。ISBN 4-89691-518-6。
『新しい公民教科書 市販本』 扶桑社、2001年6月。ISBN 4-594-03156-0。
『JC発「教育改革」待ったなし』 日本青年会議所編、ぱるす出版、2001年10月。ISBN 4-8276-0187-9。
『鬼畜米英 がんばれサダム・フセインふざけんなアメリカ!!』 木村三浩責任編集、鹿砦社、2003年4月。ISBN 4-8463-0506-6。
『合意形成論 総論賛成・各論反対のジレンマ』 土木学会誌編集委員会編、土木学会〈土木学会誌叢書 2〉、2004年3月。ISBN 4-8106-0469-1。
浜田卓二郎松本健一ほか 『ネバー・ギブ・アップ』 アートデイズ、2004年5月。ISBN 4-86119-028-2。
西部邁述「世界の思想の連峰を眺めると、保守思想の尾根なのです」、『本の本音』 高橋誠・森恵子編著、生活情報センター、2004年9月。ISBN 4-86126-139-2。
憲法の論点 『正論』傑作選』 『正論』編集部編、産経新聞ニュースサービス、2004年10月。ISBN 4-594-04810-2。
絓秀実・井土紀州松田政男西部邁柄谷行人津村喬花咲政之輔・上野昂志・丹生谷貴志 『Left alone 持続するニューレフトの「68年革命」』 明石書店、2005年2月。ISBN 4-7503-2045-5。
阿川弘之森達也男たちの大和 YAMATO』 イプシロン出版企画、2005年。 - 雑誌扱い。
関岡英之佐藤優ほか 『アメリカの日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』 関岡英之イースト・プレス特別取材班編、イースト・プレス〈East Press nonfiction 6〉、2006年12月。ISBN 4-87257-744-2。
平沼赳夫正しい日本を創る会 『日本の正道 真の保守政治を確立するための政策提言』 PHP研究所、2007年7月。ISBN 978-4-569-69291-3。
「列島人の愚行、錯誤そして自殺」、『「日米安保」とは何か』 藤原書店編集部編、藤原書店、2010年8月。ISBN 978-4-89434-754-0。
翻訳 [編集]ミルトン・フリードマン 『価格理論』 内田忠夫・西部邁深谷昌弘訳、好学社、1972年。
シュムペーターのヴィジョン 『資本主義・社会主義・民主主義』の現代的評価』 A・ヒアチェ編、西部邁ほか訳、HBJ出版局、1983年8月。ISBN 4-8337-5002-3。
ティーヴン・ナッシュ 『日本人と武士道』 角川春樹事務所、1997年12月。ISBN 4-89456-045-3。
ティーヴン・ナッシュ 『日本人と武士道』 角川春樹事務所〈ハルキ文庫〉、2004年5月。ISBN 4-7584-3104-3。
音声・動画作品 [編集]『真正保守思想を求めて』2、エピック・ソニー、1989年。
西部邁の「反論を待つ」』2、エピック・ソニー、1990年。
西部邁の「反論を待つ」』3、エピック・ソニー、1990年。
『メディアが世界を変える』第16巻、中京テレビ編、丸善
脚注 [編集]^ 『妻と僕』(飛鳥新社)の巻末に西部の詳細な経歴が掲載されている。
^ http://www.youtube.com/watch?v=Qrt4ZvJ-rmg
^ 西部邁『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー文芸春秋、1986年、36-37頁。
^ 田原総一朗のコラムによると、西部は安保条約の中身も読まずに反対していた、としている。http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110810/280586/
^ 『寓喩としての人生』175 - 177頁。『妻と僕』61 - 63頁。
^ のちに『表現者』塾に改名。
^ 西部邁栗本慎一郎『立ち腐れる日本』光文社、1991年、225頁。
^ 西部邁「レストランの地主となって」『文藝春秋』平成14年6月号
^ 『思想史の相貌』(徳間文庫)などを参照。
^ 西部邁「大新聞、テレビは統合失調症だ」、『WiLL』、ワック、2011年4月。
関連項目 [編集] 門下生 [編集]佐伯啓思
間宮陽介
宮本光晴
坂井素思
佐藤光
雑誌 [編集]発言者
表現者
北の発言
京の発言
その他 [編集]知性の構造
東大駒場騒動
表現者
船橋市西図書館蔵書破棄事件
保守思想
反米保守

外部リンク [編集]表現者
西部邁FAQ―西部邁のまこも部屋―
西部邁 - Yahoo!百科事典
西部邁: イラク戦争憲法改正、教育、天皇制 - 日本財団図書館
第150回 国会 第1号、参考人 西部邁君 - 参議院憲法調査会、平成12年11月15日
西部邁佐高信の学問のすゝめ: I、II、アンコール、III - 朝日ニュースター
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カテゴリ: 日本の保守思想家日本の哲学者日本の評論家日本の核武装推進論者東京大学の教員秀明大学の教員鈴鹿国際大学の教員横浜国立大学の教員北海道出身の人物1939年生存命人物西部邁隠しカテゴリ: 宣伝活動の記述のある項目/2010年出典を必要とする記事/2011年4月

塩見孝也

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E8%A6%8B%E5%AD%9D%E4%B9%9F
塩見孝也出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
移動: 案内, 検索
塩見 孝也
生年: 1941年5月22日(70歳)
生地: 日本広島県尾道市
思想: マルクス主義
活動: 新宿騒擾事件ほか
所属: 関西ブント
第二次共産主義者同盟
関西派
共産主義者同盟赤軍派
赤軍派プロ革派
日本社研
ぱとり・自主日本の会
投獄: 府中刑務所(懲役18年)
現職: 駐車場管理員

塩見 孝也(しおみ たかや、1941年5月22日 - )は、日本の新左翼活動家。元赤軍派議長、最高指導者。自称「真民族派」「左翼民族派」[1]。「日本のレーニン」と呼ばれた。

目次
1 来歴
2 活動
3 現在
4 エピソード
5 著書
6 脚注
7 外部リンク

来歴 [編集]1941年、広島県尾道市で出生。1962年、京大文学部入学。

活動 [編集]京大在学中から「ブント」の活動家となり、京都府学連書記長、社学同書記長と幹部となる。

しかし1969年、それまでのブントの活動に飽きたらず、「これまでの闘争方針では70年闘争を闘いきれない。受動的な階級闘争論では展望が開けず、能動的な攻撃型の階級闘争こそが必要である」と武装闘争を主張する。 さらぎ徳二らの関東派と対立の結果、決別し、いわゆる関西ブントを中心に「共産主義者同盟赤軍派」を結成し、その議長に就任した。

メンバーは京大、同志社大立命館大を中心に400人で、軍事委員長は大阪市大の田宮高麿である。

同年秋には具体的な実行として、大阪、東京で交番・パトカーなどを襲撃した大阪戦争、東京戦争等を指揮する。

しかし11月に「大菩薩峠事件」の失敗で主要幹部を含む53人が逮捕され、大きな打撃を受ける。

その後、「一国内の闘争には限界がある。労働者国家(キューバ)を根拠地とし、そこで軍事訓練を行った革命軍を各地に送って、武装蜂起を図り「世界共産主義革命」を実現すべき」という「国際根拠地理論」を提唱した。

1970年、「フェニックス作戦」と名づけたハイジャックを計画。下見を重ね具体的な計画を作成。実行部隊のメンバーを決定し同年3月後半の実施を決定したが、寸前の3月15日警察に逮捕された。しかし塩見の逮捕を知った実行部隊は、善後策を協議し既定方針どおりハイジャックを決行。3月31日、田宮高麿をリーダーとする9名が、羽田空港日本航空機・よど号をハイジャックし北朝鮮に亡命した(よど号ハイジャック事件)。

塩見は爆発物取締法、よど号事件の共謀共同正犯、破防法などで起訴される。法廷闘争の中、1972年の連合赤軍事件以来分裂状態にあった赤軍派に対し1974年に赤軍派(プロレタリア革命派)を結成。その後プロ革派は分裂し、塩見派は1979年に日本社会科学研究所(マルクス・レーニン主義毛沢東思想)を結成。1980年、懲役18年の判決が出され、1982年刑が確定。府中刑務所に収監され、結局19年9ヶ月の獄中生活を送り、1989年12月出所。

現在 [編集]ぱとり・自主日本の会を主宰し、定期的に都内で集会を開くなどの活動を行っている。出所後は何度も渡朝し田宮(1995年死亡)らと再会。また近年、民族主義を唱え一水会らと共に「国の日集会」(毎年9月2日開催)を開いたり、よど号事件実行犯が日本人拉致に関与しているかのような発言を行い、物議を醸している。

だが先に挙げた民族主義に関しては彼なりの過去の内ゲバに対する反省点と愛郷心から来ており同じ革命を目指す者同士なら左右問う事無く解決すべきであるという理念が伺える。

ちなみに塩見自身は、新宿騒擾事件については刑事責任を問われうる範囲内であるも、ハイジャックについては無罪であるとの主張を、現在においても唱えている。

赤軍派日本赤軍については、反省すべき点はあるとしつつも基本的に肯定的に評価している。一方で連合赤軍(特に山岳ベース事件)については全否定しており、自身や赤軍派とは何の関係も無いと主張している。一方で、山岳ベースでの同志殺害をもたらした連合赤軍の暴力的体質や「共産主義化」の理論は赤軍派や塩見のものに他ならない、との批判が関係者からなされることもある[2]。

エピソード [編集]PANTAは「塩見さんもちょっと露出のしすぎかなと思う。赤軍の頃は本当にすごくて、私らにとっては雲の上の人だったんですから」と話している[3]。
最近では自身の高齢に伴う身体の衰えを実感し、地元の東京都清瀬市シルバー人材センターの紹介により清瀬市所有の駐車場管理員(隣は西友の駐車場)の仕事を時給950円にて紹介してもらい、本人も「66歳にして労働の意義を知る」と自身のHP内や週刊新潮(2008年5月1・8日号)等でその充実ぶりを語り、それ以前の生活費は仲間からの援助や労組からのカンパ(たかり)だったと語った。だが経緯が経緯なだけに形式的には現在も反権力を唱える革命家が、現権力体制の保護を受けているという現状批判の声もある[要出典]。
mixiにて、HN「預言者」として活動中[4]。なおそのネームバリューゆえにコメント欄にて議論となる事も多いが、見解の相違する相手とは話し合う必要すらないと言う姿勢のもと、抽象化された単語で飾った文章で本質に一切答えず一方的に対話を打ち切るスタンスが良く見られる(mixiにおいて批判派の言い分より)。
誠のサイキック青年団」(ABCラジオ)にゲスト出演、番組内で闘争による革命の必要性を説くが、収録後の打ち上げで「少し言い過ぎたかな」と肩を落とす。
彼自身、こう云った運動する為にはインターネットが必須と考えて折、65歳を過ぎても自身でネットを使い政治活動をしている。
飲み会の席では必ず割勘を貫き通し、殆ど他人には奢らない
著書 [編集]過渡期社会論 酒井隆樹共著 共産主義者同盟赤軍派(プロ革)編 査証出版 1975
一向過渡期世界論の防衛と発展のために 査証出版 1975
封建社会主義と現代—塩見孝也獄中論文集 塩見孝也救援会,高沢皓司編 新泉社1988
いま語っておくべきこと 現代資本主義論と社会主義論 革命的左翼運動の総括 川島豪対談 新泉社 1990
「リハビリ」終了宣言—元赤軍派議長の獄中二十年とその後の六年半 紫翠会出版 1996
さらば赤軍派 私の幸福論 オークラ出版 2002
赤軍派始末記 元議長が語る40年 彩流社 2003 
監獄記—厳正独房から日本を変えようとした、獄中20年。 オークラ出版 2004 
その他
サイキック10年ファイル 1988 - 1998 (座談会)青心社 1998年8月、ISBN 4878921528)
参考文献
よど号と拉致 /NHK報道局 NHK出版 2004
脚注 [編集]1.^ 見沢知廉ファンサイト『白血球』より「見沢について記録しておくべきこと」
2.^ 『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』朝日新聞社
3.^ 『この人に聞きたい青春時代2』鹿砦社 2001年 132頁
4.^ 本人のプロフィール
外部リンク [編集]ぱとり・自主日本の会







【元赤軍派議長】塩見孝也【誠実・本気】
1 :革命的名無しさん:2009/09/21(月) 20:43:21
25才です。
赤軍派とか最近まで全然知らなかったけど、塩見さんの赤軍派始末記や監獄記を読んで、
こんなにまっすぐに活動をしている人がいるのかと驚きました。誠実な自己批判もされたようです。
塩見さんについて語りましょう。

僕が今考えているのは塩見さんが今25才だったらどう生きるのだろうか、
あるいは、塩見さんはレヴィ・ストロースの「野生の思考」やフーコーの「人間の死」のような現代哲学の問題に対してどういう立場をとっているのだろうか、ということです。
2 :革命的名無しさん:2009/09/21(月) 21:24:02
何人の若者が塩見のせいで人生を壊されてきたか。命をなくしてきたか。
関わらん方がいいぞ。
3 :革命的名無しさん:2009/09/22(火) 08:57:13
全共闘運動で何人もの若者が命を落としたからね。
4 :革命的名無しさん:2009/09/22(火) 11:00:30
塩見の臆面なき北朝鮮礼賛や赤軍派敗北の責任回避は到底度し難いものがあるぞ。
5 :革命的名無しさん:2009/09/22(火) 12:27:41
塩見の北朝鮮礼賛って、そんなの見たことも聞いたこともないが。
6 :革命的名無しさん[sage]:2009/09/22(火) 12:49:45
今は責任とって、スーバー駐車場の警備員やってるなあ
7 :革命的名無しさん:2009/09/22(火) 12:58:08
>6
責任じゃないよ。
女房から煙草銭くらい自分で稼げといわれただけ。
8 :革命的名無しさん:2009/09/22(火) 13:00:13
塩見は誠実な自己批判だけはしてないだろう。
批判的なことはすべて他者に転嫁して、俺は無関係と逃げ回っている。
新左翼でもまともな奴は塩見など相手にしておらず、馬鹿にしてる。
9 :革命的名無しさん:2009/09/22(火) 18:53:10
塩見がレヴィ・ストロースやら読んでるわけねえじゃん。
フーコーなら獄中で読んだかもしれんけど。

とにかく当時の赤軍派とヨーロッパの思潮(フランクフルト学派以降のマルクス主義構造主義ほか、流行の)は相容れんと思うよ。
どっちがいいとか悪いとか正しかったとかは措いといて。たとえばアルチュセール(「甦るマルクス」が68年に邦訳されている)を
読んでいた赤軍派学生がいただろうか。あの忙しさと弾圧のなかで。
思想とか思考とか以前に、60年代後半の(少しだけブントの、主に分裂に伴う)勢いと弾みの表現なんだから、赤軍派は。
その勢いと弾みだけで北朝鮮や中東、たどり着けなかったけど大好きだったキューバへも行って革命やろうとしたわけだから、
やっぱり思想的には支離滅裂でしょ。

その音頭取り、お調子者の大将がたまたま塩見のオッサンだったというわけ。
俺はだから「塩見に問うならば、自らにも問え」という立場です。こんなこと、匿名=2ちゃんねるでうだうだと
能書きたれてもしようがないんだけども。

でもね、
赤軍派にしか闘えなかったことだって、きっとあるんですよ。
赤軍派が提起した闘いは、あの時代の、階級情勢が突出させた一表現(それを人は小ブル急進主義と呼ぶ)に違いないし、
あれほどの決意に満ちた若者の集団を、今に至るまで俺は他に知らない。
だから、もういちど、自分のこととして戦後革命運動−全共闘運動−赤軍派(−連赤)の総括を課題としましょうよ、
同志諸君。

10 :革命的名無しさん:2009/09/22(火) 19:22:53
>>9のような文章を読むと正直ホッとするし、嬉しくなる。
でも、若い奴らが情熱と信念を持って大きな問題に立ち向かったんだからまあいいじゃないという考え方は、非常に残念だけど通用させてはいけないとも思う。
ただ、現代哲学なんかを見ると理論武装なんてことは、どうあがいてもできないんだなと思わざるを得ず、私が塩見を超えるなにかをなし得るのかと言えば明らかに不可。
日和るか発狂かの二者択一。
11 :革命的名無しさん:2009/09/22(火) 20:21:39
副島隆彦の学問道場「今日のぼやき」[2000.3.6]より引用)
宮台真司(みやだいしんじ)君や、その他のまだ、ポストモダンを 言っている人たちがいるようですが、残念ながら、
もう世界規模では捨てられた思想です。今の 37歳ぐらいから上の人間が、感染している病気です。
東なんとか君の本など、どうせ何をいいたいのか、なにを、かいているのか、わけがわかりませんから、ご心配なく。
はじめから、この人たちは「読者にわけが分かるようには」書きません。

大正デモクラシー」のころの(ロシア・ボルシェビキ革命の世界的、影響です)からの「新カント学派」の影響で、
とにかく訳(わけ)が分からないように書く。読者より自分の方が頭がよいように思わせるように書く。
これが、この手の人たちの本性です。愚劣きわまりない伝統であり、日本知識人の劣勢遺伝子のかたまりです。
室町・鎌倉期の五山(ござん)の僧侶たちも、こうだったのでしょう。 かれらは、仏教の坊主(僧)だったのに、
何と朱子学南宋学、儒学)の本をよんで、分かった振りをしていた、おもしろい人たちでした。
これと、今のおフランス思想かぶれの残党たちは、よく似ています。
じつは、フランスでも一番頭のいいのは、ドゴール主義者(ゴーリスト)の政治知識人たちです。ゴーリストたちは、
フーコーらのような、人文(じんぶん)主義の衒学(げんがく)趣味ではなく、本気で「どうやったら自分たちは
アメリカの支配から脱出できるのか」を国家戦略研究所に集まって、研究しつづけているのです。

 日本人のような、東アジアのモンゴリアン・インディアンには、フーコーぐらいが、文化輸出するのに、丁度いい、と、
考えていたのです。フーコー自身が、来日したとき、「ク、ク、ク」とわらいながら、そういうことを、吐いています。
(引用おわり)

12 :革命的名無しさん[sage]:2009/09/23(水) 00:12:05
塩見の自己批判には大きく二つの正確があると思う

ゲヴァルトについての自己批判
 →ブント内部の内ゲバ死者(望月氏)への坊主懺悔
 →党派闘争における暴力使用の総括(今は非暴力主義を標榜)

赤軍派指導者としての自己批判
 →事態が連赤にまでいきついたのは、獄中指導者としての己が至らなかった
  ※要するに前衛主義・官僚体質はそのまま

ただし、これは塩見のサイト(パトリ)の情報だけからのまとめ
13 :革命的名無しさん:2009/09/27(日) 09:00:04
塩見はまったく反省してないね。
ミクシィーで兵隊集めのまねごとをしてる。
14 :革命的名無しさん:2009/09/28(月) 16:07:37
塩見はネトウヨと馴れ合ってるから、もう末期だな
15 :革命的名無しさん:2009/09/28(月) 18:22:38
亡くなった同志たちの墓標をお遍路して余生をすごせよ
16 :革命的名無しさん[sage]:2009/09/29(火) 06:20:45
塩見は当時を知る仲間や現役の極左、元過激派の思想家たちからはまったく相手にされてない。
何よりもその社民的な日和見主義が批判されてる。

17 :革命的名無しさん[sage]:2009/09/30(水) 18:25:53
塩見の反省していないところは、
まだ自分が指導者たりうると思い込んでるところ。
兵隊集めのまねごとはその結果かな?
18 :革命的名無しさん:2009/09/30(水) 21:18:16
塩見を批判している人に聞きたいんだが、今の日本で「人民の社会」を具現化したり、「革命」を起こすことは可能だと思うのですか?
そういう方向性で現実的に有効な活動をしている団体や人は、今いますか?
単に前向きに活動しているとかではなく、現実性のある活動をしている団体や人はいるんですか?
19 :革命的名無しさん:2009/09/30(水) 21:31:55
なあなあではなく本気の左翼的な活動というものは、成功する可能性を持っているのでしょうか?
これまでいくつもの活動が失敗に終わり、その度に、〇〇が悪い、〇〇がバカだから失敗した、という総括が行われてきましたが、
本気左翼的な活動自体の非現実性を諸個人に転嫁しているだけではないのでしょうか?

これは、煽りや批判ではなく左翼初心者の素朴な質問です。
20 :阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :2009/09/30(水) 22:53:59
>>19
つ「権力を取らずに世界を変える」の第七章あたり、どうぞ。
ヒントがある。

21 :革命的名無しさん:2009/09/30(水) 23:45:39
塩見孝也ね。
数年前にある居酒屋で見たことあるよ。
あのおじさん、タイで高級娼婦買ってたみたいよ。
22 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/01(木) 13:08:13
塩見は「日本のレーニン」とか言われて喜んでる馬鹿。
極左でもまともな奴は塩見なんて相手にしてない。
23 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/01(木) 13:09:13
>21
塩見は女癖は悪いらしい。
24 :革命的名無しさん:2009/10/01(木) 16:07:06
世が世なら、日本人民共和国の、初代大統領だったかも知れないのに…。
25 :革命的名無しさん:2009/10/01(木) 16:18:44
コピーライターになっていれば糸魚重里並に成功していたかもね。
抜刀隊とか w


26 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/01(木) 17:44:41
>24
なってないよ。赤軍派の実権は塩見にはなかったのだから。
塩見は赤軍派では無能力な足利将軍みたいなものだったらしいよ。
27 :革命的名無しさん:2009/10/01(木) 18:56:58
そんな事はないよ。連合赤軍の森の遺書を読んでみれば
塩見尊師に深く帰依していたことがわかるよ。

28 :革命的名無しさん:2009/10/01(木) 19:03:14
攻撃型階級闘争論とか前段階武装蜂起とかね。
結局はゲバラのパクリなんだけどね。
植垣氏ら田舎紳士には魅力的で衝撃的な言葉だったらしい。
29 :革命的名無しさん:2009/10/01(木) 19:12:55
>>23植○さんの知り合いらしくていきなり居酒屋に登場。
背が高いけど猫背でなんか怪しいオーラはあったww
あのおじさんエッチだよね〜(^ε^)
噂真かサイゾーでも高須基二と一緒にエッチなのが載ってたよ〜
プギャー!


30 :革命的名無しさん:2009/10/01(木) 19:26:59
某ジャーナリスト(本○信○)が風俗店へ連れて行った時のこと。
そこの店長が「あれ?ギチョー(刑務所で知り合いだったらしい)」
女の子は「あら、ギチョーさん(都議会の議長と勘違いしたらしい」とサービスしたとか。
「性に関して無視する新左翼が多い中、立派だ?」と褒めていたな。
31 :革命的名無しさん:2009/10/01(木) 19:34:42
その高須氏も元々は極左です。
逃亡中は大学の女子寮なんかでお世話になっていたとか。

32 :革命的名無しさん:2009/10/01(木) 21:51:41
>>31
高須さんもエッチですねえ〜。
でも隠さないからおK。
塩見さんは左翼には多いムッツリどスケベですね。
あとあの度が超ぶ厚い眼鏡が時代送れですね。
ちょい悪オヤジを目指すならまずお洒落な眼鏡にすることをおすすめします。
あとあまり理屈っぽいこと話さないで呉智英さんみたくなるの…
無理か…
33 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/02(金) 10:04:38
塩見は本人を少しは知ってるが
最悪というより最低の男だよ。
金銭感覚はいいかげんで、若い女には鼻の下を伸ばし
猛烈なメール攻勢。
完全なストーカータイプだな。
34 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/02(金) 14:18:22
メール攻勢kwsk
35 :革命的名無しさん:2009/10/02(金) 21:40:53
元気がいいですね。
塩見さんの収入源はどこから出てるのでしょうか…。
今日不動産屋事務職を社長に辞めろ宣告された私には不思議です。
36 :革命的名無しさん:2009/10/02(金) 21:51:18
>>25
「三千人の抜刀隊がいれば」という言葉の出所は、ブントの第4回大会での島成郎の演説
37 :革命的名無しさん:2009/10/02(金) 21:58:13
変質者なんだな
38 :革命的名無しさん:2009/10/02(金) 22:58:33
ああ…辞めろ宣告されて明日から給料の締めまで仕事に行くのが苦痛だあ〜。
新しい仕事も探さなきゃ…
塩見さん、底辺の労働者は毎日こんな感じですよ。
私は貴方みたいにいつまでもお元気でエッチでいれるのが羨ましいです。

39 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/03(土) 01:28:44
塩見は連れ合いに収入がある
当人は小遣い稼ぎでスーパーの駐車場管理人やってる
なんかの週刊誌の取材記事でそう出てた
40 :革命的名無しさん:2009/10/03(土) 10:15:08
奥さんが学校の教師で家計を支えたんだよね。
映画の“母べえ”みたい。
41 :革命的名無しさん:2009/10/03(土) 15:03:03
>>40そうそう!奥さんが高校の先生だって
植○さんが言ってた!だから収入源あるって今思い出した!
さてと…×1子持ちの『辞めろ宣告』された最底辺の私はどうしようかしら…。
42 :革命的名無しさん:2009/10/03(土) 15:35:07
奥さんが公立学校の教員(=公務員)で、旦那が赤軍派というのはアリなのか?
よど号の時に、日航は半官半民の国策会社だから、
日航の乗員・添乗員は敵であると主張したと自ら本に書いていたような気がするが・・・・・・。

それにフーコーとかが主張するように、学校って体制が作った監獄だと思うが。
既成の社会にとって(体制側にとって)良いことと悪いことを子供に教えて、
精神的に子供を監獄に入れていく、あるいは精神の中に権力側の看守を送り込むわけだろ。

矛盾に苦しんだりはしないのかな。
43 :革命的名無しさん:2009/10/03(土) 19:25:32
こーいうのって『アジテーター』でしたっけ?
あ、ヤバス…。給料締めまで仕事探さなきゃ…

44 :革命的名無しさん:2009/10/03(土) 22:19:10
>>36
へぇ。ありがとうございました。
元は三千人だったんだ。
塩見の時は百人でしたっけ?

45 :革命的名無しさん:2009/10/03(土) 23:24:36
そいえば赤軍パレスチナに飛んで逝っちゃった人、名前なんだったっけ?
46 :革命的名無しさん:2009/10/04(日) 09:33:41
>>43
「トロ(ッキスト)がタテカン(立て看板)の前でアジっとる(演説してる)」と
先輩の言われた時に寿司屋みたい..と思ったな。
>>44
1000人の抜刀隊で占拠です。
47 :革命的名無しさん:2009/10/04(日) 09:43:17
>>42
奥さんが国交省副大臣で、旦那が元日本赤軍のテロリストっていうのもいるから
ありでしょう。

大学時代に“大学解体”を叫び、予備校講師になった奴
成田空港粉砕を叫んで、その成田空港から海外旅行に行った奴など
もっといる、俺もだけど。
48 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/04(日) 12:55:23
予備校の先生って、30過ぎたらクビらしいけど?
区内だけど下町路上で、『東大早慶卒の講師が・・云々。二割も安くなっております。云々。』
予備校を離れた先生らしいのが、
キャッチセールスよろしく、ちょっともどかしい営業してたね。

49 :革命的名無しさん:2009/10/04(日) 16:52:53
>>47
福島みずほの旦那は(も)弁護士で、塩見が府刑に居るときに塩見と面会したりして監獄闘争の世話してたらしいですね。塩見の著書に書いてあったらしい。
武装闘争ではない革命を志向して政治家やってるってのは筋の通らない話ではないが、
自分の中で筋通さないで自己矛盾のまま公務員や大企業社員やってるやつも相当数いるだろ。
50 :革命的名無しさん:2009/10/04(日) 16:54:00
書いてあったらしい
ではなく、
書いてあったと思う
ね。
51 :革命的名無しさん:2009/10/04(日) 17:20:32
>>49
元じゃなく今でも弁護士。
52 :革命的名無しさん:2009/10/04(日) 18:53:42
あれ?みずほの旦那って元中核派じゃなかったっけ?
53 :革命的名無しさん:2009/10/05(月) 00:08:12
星野の救援やってたってだけで、今じゃ角田なんかとのつきあいが深くて中核からは煙たがられてるんじゃないの。
スレの趣旨からはずれてスマン。
54 :革命的名無しさん:2009/10/06(火) 10:48:03
>>53
「河内のおっちゃん」なる共産党コテハンにちゃんと教えたげてくれ。
社民党はほぼ全部中核らしい。
55 :10:07-11:05 ログ(オミンス発作編)[sage]:2009/10/06(火) 12:00:30
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1254628680/l50
33 :革命的名無しさん:2009/10/06(火) 10:07:24
>>31 おsageさんは赤旗読まないけどちゃんと共産党を支持してますよ。少々お行儀が悪いかもしれませんけども。

35 :革命的名無しさん:2009/10/06(火) 10:12:31
>>34 〉 赤旗を読まない人
これに反応しちゃったんだ。自意識過剰ですねえ。
「党員で読まない」ならまだしも、党員に限定しなければ読まない人が多数だと思いますけども。

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1249308332/l50
362 :革命的名無しさん:2009/10/06(火) 10:18:52
>>340 タイトルに「マルチ」が入ってるから良いのでは

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1251697323/l50
336 :革命的名無しさん:2009/10/06(火) 10:28:26
>>333 頑張っても限界があるのが哀しいですね、おsageさんは。

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1253533401/l50
54 名前:革命的名無しさん :2009/10/06(火) 10:48:03
>>53 「河内のおっちゃん」なる共産党コテハンにちゃんと教えたげてくれ。社民党はほぼ全部中核らしい。

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1197605492/l50
575 名前:革命的名無しさん :2009/10/06(火) 10:52:39
完全スルー(笑)

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1249565508/l50
204 名前:革命的名無しさん :2009/10/06(火) 11:01:06
>>200- おsageさんは右翼だけど共産党板で一目置かれてますね。どういうニュアンスかは別として。

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1250166618/l50
26 名前:革命的名無しさん :2009/10/06(火) 11:05:47
>>25 自衛隊活用論の共産党に言ってくれよ。北朝鮮と戦争したくてうずうずしてる気違いどもだから。
56 :革命的名無しさん:2009/10/06(火) 19:22:03
>※要するに前衛主義・官僚体質はそのまま
完全に同意。塩見は、結局、セクトの人。素人がかかわるのは危ない。
>今は非暴力主義を標榜
ご都合主義に過ぎない。
塩見は、26人もの無辜の民間人を殺したテルアビブ空港乱射事件を今でも肯定してるんだぜ。
一方で内ゲバ批判だの連赤の同志殺害批判(森恒夫の責任だと)って、おかしいと思わないか?
連赤の連中なんて、非合法のやばい活動と知って参加したんだし、自己責任だよ。
57 :希流[sage]:2009/10/06(火) 19:53:18
赤軍派の初期の闘争は完全に肯定でしたよ。
非暴力主義だとはとても思われない。
mixiで東京戦争、大阪戦争について揶揄したら
その点をなじられた記憶があります。
58 :革命的名無しさん:2009/10/06(火) 20:10:49
>>57
でしょ。
M作戦(銀行強盗)、明治公園爆弾投擲も肯定。浅間山荘銃撃戦(女性を人質に篭城、警官2名と民間人1名を殺害
)は「理解できるし、高く評価する」。
ただ山岳ベース(リンチ)だけは良くなかったが、それは森の責任だと。
赤軍派の輝かしい歴史を森が汚したという認識でしかないんだから。
59 :希流[sage]:2009/10/06(火) 20:22:00
>>58

時期によっては塩見さんの場合、発言にかなりぶれがあるようだけど、
最近の結論はまさにそれです。で、それがやはり塩見さんの本音でしょう。
かつては付き合う相手によって発言を変化させていたようだけど、
結局はそういう自画自賛に帰着するわけで。
共産主義者協議会の面々が、塩見さんだけは絶対排除だ、と
言っていたのはやむをえないことだと思います。
60 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/07(水) 14:28:06
結局、塩見は過去のの恣意的な解釈で自画自賛してるだけ。
61 :オミンスさんはチンカス以下w:2009/10/08(木) 02:04:36
58:革命的名無しさん :2009/10/06(火) 20:10:49
>>57
でしょ。
M作戦(銀行強盗)、明治公園爆弾投擲も肯定。浅間山荘銃撃戦(女性を人質に篭城、警官2名と民間人1名を殺害
)は「理解できるし、高く評価する」。
ただ山岳ベース(リンチ)だけは良くなかったが、それは森の責任だと。
赤軍派の輝かしい歴史を森が汚したという認識でしかないんだから。
53:革命的名無しさん :2009/10/05(月) 00:08:12
星野の救援やってたってだけで、今じゃ角田なんかとのつきあいが深くて中核からは煙たがられてるんじゃないの。
スレの趣旨からはずれてスマン。

59:希流 :2009/10/06(火) 20:22:00 [sage]
>>58

時期によっては塩見さんの場合、発言にかなりぶれがあるようだけど、
最近の結論はまさにそれです。で、それがやはり塩見さんの本音でしょう。
かつては付き合う相手によって発言を変化させていたようだけど、
結局はそういう自画自賛に帰着するわけで。
共産主義者協議会の面々が、塩見さんだけは絶対排除だ、と
言っていたのはやむをえないことだと思います。
62 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/08(木) 11:21:40
塩見は人間的に信頼出来ない。

63 :革命的名無しさん:2009/10/08(木) 20:55:46
内ゲバ以外、先頭にたったことないしね。



64 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/08(木) 22:05:36
タイの一件もありましたね。
65 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/10/10(土) 09:35:19
まあまあ。塩見氏は「2ちゃんのコテハン」みたいなもんでしょ。
叩かれるのは日常茶飯事だし、ちょっかいをかけて来るのも同じく。
極左という古典芸能」と」刑務所生活」しか体験せず
“おひねり”と“お布施”で生活していた方が、自分で稼ぐようになったのだから
進歩でしょ。

66 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/10/10(土) 09:40:38
かっての片腕である高原氏は「二度と塩見の顔をみたくもない!」と言ってるし
『ゲバルト狂時代』の著者もボロクソだね。
連合赤軍の「バロン植垣氏」に至っては
「塩見には犠牲心も献身性もない。彼自身の経験もないし、頭の中で考えている」
最も塩見氏も彼には言われたくないだろうがね。

ただ俺の経験ではだね。「塩見氏のHPへ行って数回掲示板でやりとりしたが
そんなに悪い人じゃない」って感じがした。
67 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/10/10(土) 10:46:48
>>57
俺もHPで「森を復帰させた経過」を聞いたら
ムキになってなじられましたです。はい。
68 :革命的名無しさん:2009/10/10(土) 11:08:33
塩見さんって、動画見たり著書読んだりする限りでは人柄はものすごく良さそう
69 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/10/10(土) 11:09:30
意義なし!!いや異議なし!!
70 :革命的名無しさん:2009/10/10(土) 12:10:08
ブル新で「足跡をつけた人とマイミクになった」と逝ってた塩見ちゃん、
アクセスしたのに、マイミクになってくれないよう(泣
71 :革命的名無しさん:2009/10/11(日) 02:13:48
>>68
思想的な部分はおいといて人間性が最悪なんじゃないの?
会ったことないけどこの人の文章を読んでる限り、
都合の悪いことはスルーして自己弁護ばっかりじゃん
自分のことは棚に上げて他人を罵ってばっかりだし
72 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/11(日) 06:03:54
人柄は悪くないよ。
ただ、人間性とか思想の問題は別。
73 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/11(日) 08:55:14
塩見への絶縁状
http://miyazakimanabu.com/zorro-me/miyazaki4/tanaka_kodama/zetuen.html
74 :革命的名無しさん:2009/10/11(日) 13:55:36
「ウチの組の若い衆の不始末は、組長のワシが取る」
こんな感じではありませんんから任侠系には不人気ですね。
75 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/11(日) 16:38:22
いや、口ではそれに近いことを言うんだ。
本人の意識としては親分なんだが…
76 :革命的名無しさん:2009/10/11(日) 17:44:34
よど号について、自分は2週間前に逮捕されていたから指導者たりえなかった、と主張するのは下記のうちどの精神からなんだろうな。

1、自分に責任が回ってくることだけは、なりふり構わず避けたい。
2、自分は本当によど号には関わってない。
3、権力に対する裁判闘争を完遂するために、どのような事柄であっても無実を主張する。誰かに責任をなすりつけるとかではなく、闘争として当然に無実を主張する。
77 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/11(日) 18:14:14
…誰も子分と思っていないところが問題だな
78 :革命的名無しさん:2009/10/11(日) 19:21:50
>>76
そりゃあ3だろうけど、おれはパクられた時、手帖をもっていて、決行日に「HJ」と書いてあったエピソードが一番イヤ。
指導者を名乗る資格なし。
本気で革命戦争をする気があったのか疑う。

79 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/12(月) 12:52:05
塩見は責任転嫁と自己弁護ばかり。
おまけに思想は古臭い。

80 :希流:2009/10/12(月) 14:33:56
mixiで見る限り、人柄は悪くないと思います。
しかしブントの面々からあれだけ嫌われているのを見ると、
あるいはmixiの日記での赤軍派の議論を見ると、
自己弁護、責任転嫁しかできない人物か、と思ってしまいますよね。
生来そういう人物だったとしか言いようがないのでは。
マイミクになって日記を見てみると面白いかと思います。
本人は思想のぶれについても一切否定して、戦術的な側面から
表現を変えていた、みたいなことばかり話しているしね。

81 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/12(月) 16:48:43
塩見の人柄はあまり良くないよ。会えば分かる。意外とかなりの差別主義者。
それに間抜けなエリート主義。
82 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/12(月) 18:23:30
あ、間抜けなエリート主義というのはよく分かるw
83 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/12(月) 19:11:27
塩見か、キモすぎるな。
少しは悪い女癖くらいは直せ。
84 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/13(火) 17:12:18
「間抜けなエリート主義」というより、「エリート主義な間抜け」
85 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/14(水) 14:06:33
最低のカス人間。ほかに言うことはないよ。
86 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/14(水) 16:21:54
この御仁に対しては吐き気しかない。
人間として疑問を覚える。
87 :革命的名無しさん:2009/10/17(土) 09:29:06
でも「若頭の田宮氏」や「舎弟の森」は心酔してるよね。
ここらへんとのギャップが大きい。

俺は名古屋で中○新聞の読者なんだが、
塩見氏が出所した時にこの新聞の記事は同情的だったよ。
「塩見の名前を恐れた権力が不当に長く拘留した」とかあった。

88 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/17(土) 11:56:35
それは、早く死ぬか、北朝鮮に行くかしたからだろう。
生きているかつての仲間で塩見の友達って誰かいるか?
89 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/18(日) 13:31:39
塩見が本気だの誠実だのと言う人は、奴が金正日体制の熱烈な礼賛者であることを
知って言っているのか?「北朝鮮では言論の自由が保障されている」って言ったんだよ。
拉致を否定できなくなってからは少し言うことが変わったようだが、それこそ厚顔無恥
御都合主義で、誠実のセの字もない男であることが分かる。
90 :革命的名無しさん:2009/10/18(日) 17:10:49
しかし、塩見氏の出所祝いには「直系若衆」や京都大学の元総長も出席したそうだよ。
そんな最低の男のために、人が集まるかい。
91 :革命的名無しさん:2009/10/18(日) 17:13:22
塩見氏は京都大学自治会の委員長もやっているが
高瀬泰司氏(親分肌で人望があったと田原総一郎が評価してる人物)も
副委員長として支えていたんだろう。
最悪の男が委員長になれるだろうか。
92 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/19(月) 00:26:39
>>91
実際になってるじゃん。
93 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/19(月) 02:04:55
塩見を身近で知っている者は塩見を嫌悪したり軽蔑する者が多いね。
やはり塩見本人にそれなりの問題もあるのだろうな。
94 :革命的名無しさん:2009/10/20(火) 19:03:49
>>92
違うんだなぁ、そうじゃないんだなぁ。
問題なのは「何でそんな最低の男が自治会や府学連や生協運動やブントなどの
リーダーになっていったか」って事です。
95 :革命的名無しさん:2009/10/22(木) 08:59:08
一時的に人を欺くことはできても、永続的にはできない
96 :革命的名無しさん:2009/10/22(木) 09:18:49
>>94
麻生太郎がなぜ総理大臣になれたのか、と同じ愚問。


97 :革命的名無しさん:2009/10/22(木) 10:30:28
>>96
愚問か?

自分は愚かだから知りたい。
98 :チェ・ゲリバラ[age]:2009/10/22(木) 10:39:16
そろそろ本気汁が見たいものだな
99 :革命的名無しさん:2009/10/22(木) 18:07:15
>>89
MIXIの日記では昔礼賛してたことを棚にあげて北を批判してたな

こんなスイーツみたいなやつウヨからもサヨからも相手にされないよ
100 :希流[sage]:2009/10/23(金) 01:17:26
>>99

昔の礼賛は戦術的な配慮で本音ではなかったとか。
そんなことを書いていたように思います。
ちなみに他の人から僕が聞いた礼賛の理由は、北朝鮮
国賓待遇を受けて完全に舞い上がってしまったから、というもの。
101 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/23(金) 08:15:24
ありそうなことだね。
彼の頭の中に「人民」はないのさ。
102 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/23(金) 21:06:44
そんで日本に帰ってきて笛吹けど踊るようなやつは誰もいないと
主日本の会は痛かったね
103 :中堅:2009/10/23(金) 23:59:27
重信裁判で何度か話させてもらったけど、人あたりはいい。ただ言う事は一方的。
やっぱり頭でっかちという印象だった。
104 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/10/24(土) 09:04:52
典型的な、あの時代の活動家だな。
自分の思い通りに局面が動いている時は“いい人”
ところが思い通りにならないとキレる。

典型的な“団塊の世代”。
105 :革命的名無しさん:2009/10/24(土) 09:11:47
>自分の思い通りに局面が動いている時は“いい人”
>ところが思い通りにならないとキレる。

最近の若い世代の方がそんなのばっかだと思うが(特に一人っ子)。
106 :革命的名無しさん:2009/10/24(土) 09:24:07
久しぶりにここに来てみました。
当然落ちてると思ってたのですが、逆にもう105ですか。
あいかわらず人気者なんですね。本人も読んで喜んでるかもよ。
107 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/10/24(土) 10:01:26
今思えば、そんなに悪い人じゃなかったと........
108 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/10/24(土) 10:02:46
>>105
団塊クレーマーに多いタイプ。
109 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/10/25(日) 14:11:50
山本義隆さんや秋田明大さんの悪口を言う人はいないのに...
何故、この人は....言われるの。
110 :革命的名無しさん:2009/10/25(日) 17:17:13
塩見さん、ここ読んでるなら>>1君に答えてあげてくださいよ。
111 :革命的名無しさん:2009/10/25(日) 17:53:44
糞だいこが相手にして欲しいって言ってるんだけど?いらないよね、あんな臭いカルト淫獣?

112 :革命的名無しさん:2009/10/25(日) 17:59:09
相手にして欲しいって、ケツの相手だろう!(笑)
そんなやつおらんわ
113 :革命的名無しさん:2009/10/25(日) 18:19:26
>>106
違うんだなぁ、そうじゃないんだなぁ。
ネットでの注目度と人気は違う。
林真須美スレとか永田洋子スレとかもあったが、本人に人気があるのではない。

114 :革命的名無しさん:2009/10/25(日) 21:44:43
塩見さんが書いた『監獄記』って本の帯に「責任はすべて俺がとる!」って書いてあるんだけど、
出版社の人が書いたのかな。なんであんなこと書いたんだろ。
本人は一度もそんな発言してないんじゃないかと思うけど。
本の中身読まないで適当に書いたか、嫌味かどっちかだよね。
115 :革命的名無しさん:2009/10/25(日) 23:06:24
>>109
いまだにOB面というか現役面してちらちら顔出してくるから
こまっちゃうんだよね。
結局こっちも負けないサービス精神でお相手してしまうというか。

ポンタとかクロカンとか中原ピンとか亡くなった人たちとくらべたら悪いけどさ、
塩見という人物が最高指導者だったというところに
赤軍派の光と影が象徴されているような気がする。

116 :革命的名無しさん:2009/10/25(日) 23:25:21
菩薩も連赤の闘いも後の世では、
(ちょうど現代のわれわれが幕末期の倒幕派志士や新撰組の若者たちへ
熱い眼差しを注ぐように)史実としてあらたな光が与えられるに違いない。
なんてこと、そういや塩見がどっかで書いてましたっけ。

117 :椎茸農家 ◆DlyW/s8ibQ :2009/10/25(日) 23:31:43
左翼にしては正直者と言うのが人物評だね。おれも昔メルトモしていた。
きっかけは諏訪の赤報隊の碑を参拝したことから。彼も魁塚を参拝していた。
118 :革命的名無しさん[sage]:2009/10/27(火) 20:15:30
>116
barker barker sea
119 :革命的名無しさん:2009/10/31(土) 14:14:24
>>116
それって鈴木邦男さんも言っていたよ。
まあ、大河ドラマ小栗旬あたりが演じればイメージが変わるかもね。
120 :革命的名無しさん:2009/11/07(土) 09:27:02
老働者諸君!もう言う事はないのか?
121 :低賃金劣悪労働者:2009/11/07(土) 10:19:55
>>120
ライオンズクラブを全国一斉家宅捜索し幹部を検挙しライオンズクラブわ潰滅に老い込むべし!(笑)!
しかして人間のイデアは達成成就されんや(笑)(笑)!
122 :革命的名無しさん:2009/11/07(土) 10:24:30
ライオンズクラブと元赤軍派の塩見はんと、何の関係があるんや?
ライ○ンズマンションの側の駐車場で働いているかもしんが。
123 :革命的名無しさん:2009/11/07(土) 10:37:16
ライオンズクラブこそ日本人の犯罪行為を財務省からの闇金略取と交換に、数十年間
逐次詳細窮まる支持を出し日本人各自に実行せしめ日本を犯罪国家犯罪社会にせしめた
張本人かつ犯罪遂行のシナリオライターである!
ライオンズクラブ如きは人類の歴史から速やかに除去すべき忌むべき非人間的かつ反人間的犯罪組織である!??
124 :革命的名無しさん:2009/11/07(土) 10:42:48
ライオンズクラブこそ日本人の犯罪行為を財務省からの闇金略取と交換に、数十年間
逐次詳細窮まる支持を出し日本人各自に実行せしめ日本を犯罪国家犯罪社会にせしめた
張本人かつ犯罪遂行のシナリオライターである!
ライオンズクラブ如きは人類の歴史から速やかに除去すべき忌むべき非人間的かつ反人間的犯罪組織である!�
125 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/11/07(土) 11:02:13
わかったよ。塩見氏にライオ○ズマンションの駐車場の管理人を
やってもらえばいいんだな。
126 :全日本地下抵抗運動評議会:2009/11/07(土) 11:48:37
>>125
金玉ついて無い馬鹿臆病卑怯犯罪者は惚けろ!
127 :低賃金劣悪労働者:2009/11/07(土) 12:07:33
ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!
ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!
ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!
ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!
ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!
ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!
ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!
ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!
ライオンズクラブに関して黙して語らず、の態度は金玉付けてない嘘つき最低馬鹿野郎!
128 :革命的名無しさん:2009/11/07(土) 14:22:49
黙して語らずは、現在ではファシストの代名詞になっているのだ(笑)!
129 :革命的名無しさん:2009/11/07(土) 14:28:44
前理事長奥田某菊地澤ケン奈穂美夫婦吉村ありさどもは無職ゴロツキ泥棒のライオンズクラブの走狗で
藤井財務大臣どもから既に10億円以上のブラックマネーを受け取り朝と無く夜と無く24時間
盗聴盗撮生体制御している朝鮮人の馬鹿野郎だ!
菊澤ケン奈穂美夫婦と吉村ありさ日本共産党員だ!共産党なんぞとんでも無い犯罪集団だ!序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|序|
130 :革命的名無しさん:2009/11/07(土) 15:03:31
日本共産党員で殺人犯窃盗犯空き巣盗聴盗撮生体制御のプロの菊澤ケン奈穂美夫婦の
電話番号0726269385

十数年間無職で極道して10億円も藤井財務大臣どもから頂戴している大馬鹿野郎の共産党員である!
日本共産党どもは憲法の上に自らをおき、もし九条改悪反対闘争に勝利した暁には
反対派に便乗して政権を奪取する事は明白です!
共産党が政権与党になれば北朝鮮顔負けの粛清独裁政治を行うのは自明です!
自民党の悪政補完部隊だった馬鹿野郎ファシスト日本共産党どもの化けの皮を徹底的に
剥ぎ取り騙されないようにしましょう!
131 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 09:10:45
はい、はい。
132 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 12:58:56
ライオンズクラブの狗だった日本勤労国民大衆!アーメン。ラーメンタベル!
133 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 13:06:53
悪魔に懺悔し味方を売り捌いている日本人!ああ、無情!
134 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 13:29:13
ライオンズクラブの狗だった日本勤労国民大衆!アーメン。ラーメンタベル!
135 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 14:11:17
ライオンズクラブは現代の傀儡師であり、勤労国民大衆は奴らの思うがままに操られている、という茶番劇(笑)!
136 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 14:44:22
>>135

茶番と言う勿れ。人間の尊厳と生死がかかった極めてリアルな舞台上で皆、演技しているのだぞ。
137 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 15:26:08
>>136

舞台俳優のギャラは幾らなんですか?
138 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/11/08(日) 17:11:09
学友諸君!議論が本質と離れている。
139 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 18:29:02
>>137

なことはどの舞台俳優も知っている!定年までに一億円溜め込む俳優もいる!
140 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 19:34:19
糞っ垂れの乞食の溜め込んだ闇金が一億円か!
余程の極道を何十年も続けて来たんだな!
乞食帝国が社会主義だなんて誰が言ったんだ?
141 :革命的名無しさん:2009/11/08(日) 19:47:52
>>140

不破哲三と砂糖英作です
142 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/11/14(土) 09:34:09
日本のレーニンと言えば「東の川島 西の塩見」
民度と言えば「東の千葉 西の愛知・大阪」
革命組織と言えば「東のマル青同 西の赤軍派
マスコミと言えば「東のバンキシャ 西の中京スポーツ
革命家と言えば「東の牧田吉明 西の菊田良治」
監督と言えば「東のタブチ 西の星野」 だよ。      
143 :革命的名無しさん:2009/11/14(土) 15:00:01
乞食帝国がファシズムではなく社会主義だなどと強弁してきた修正主義者ども。
144 :革命的名無しさん:2009/11/21(土) 09:01:06
塩見批判はもう出尽くしたのか
145 :希流[sage]:2009/11/21(土) 11:27:56
今は資本論研究会で頑張っているらしいからいいんじゃないの。

146 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/11/22(日) 09:51:14
んだね。塩見さん、「アサヒ芸能」だけでなく頑張ってください。
147 :革命的名無しさん:2009/11/22(日) 18:58:38
>>144
批判するほどの価値もない
148 :革命的名無しさん:2009/11/28(土) 09:13:53
>>147
本人にそんな事言ったら照れるでしょう。
149 :革命的名無しさん:2009/12/08(火) 07:32:49
早くもネタ切れか
150 :革命的名無しさん:2009/12/12(土) 10:17:43
要するに「頑固で粘着だから嫌いだよ」これでOK
151 :革命的名無しさん:2009/12/15(火) 19:14:30
マイミクになりゃいいじゃん。いきなり向こうから申請してきたりして断るのに苦労したよ。
152 :革命的名無しさん:2009/12/16(水) 12:10:42
>>151 漏れのところにも申請きた。華麗にスルーしたけど(笑)。
153 :革命的名無しさん[age]:2009/12/16(水) 12:47:29
永田はどうしているのかね?

154 :革命的名無しさん:2009/12/19(土) 12:10:50
なんだよ、みんな塩見さんが好きなんだ
155 :革命的名無しさん:2009/12/22(火) 12:36:30
田母神の方が好き
156 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/12/27(日) 09:49:04
大道芸が上手な点では似てますからね。
157 :革命的名無しさん[SAGE]:2009/12/31(木) 10:06:06
責任は全て、俺が取る!
158 :革命的名無しさん:2010/02/01(月) 21:10:46
マイミクの一人が塩見に紹介文書かれてたんだけど、その内容が自分のとこへの勧誘で「変な紹介文書くな!」って呆れてた
159 :革命的名無しさん:2010/02/07(日) 12:40:58
??
160 :革命的名無しさん:2010/02/13(土) 16:14:59
1月27日に、重信房子さんに会いに行きました。

2010年 1月30日

塩見孝也

 1月27日に、“フ―ちゃん(重信房子さん)”に会いに行きました。

http://homepage2.nifty.com/patri/column/2010-01-30_fuu-san.htm
161 :革命的名無しさん:2010/02/14(日) 12:05:11
もうすぐ田宮同志にも山田同志や遠山同志にも会えるだろう。
162 :革命的名無しさん[sage]:2010/02/21(日) 11:01:54
今日のアカピに載ってたお
163 :革命的名無しさん:2010/02/27(土) 10:44:31
アサヒ芸能か週刊実話か。
164 :革命的名無しさん:2010/02/28(日) 21:51:45
 よど号グループ、日本赤軍連合赤軍…。現代史に残る数々の事件の源流にあるとされる新左翼セクト赤軍派
に所属したメンバーらが2月上旬、京都市内で集会を開いた。
ゲストとして登場したのは、なぜか元検察幹部。
会場では、公安捜査について語る元検察幹部のスピーチを熱心にメモする元赤軍派たち、
という意外な場面も見られた。
内部抗争や分裂を繰り返した彼らが、
再び集まった狙いは一体、何だったのか。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100227/crm1002271801014-n1.htm
165 :椎茸農家 ◆DlyW/s8ibQ :2010/02/28(日) 23:27:43
 もう昔話です、はい^^
166 :革命的名無しさん:2010/03/04(木) 18:07:32
氏のmixiに、山本義隆のこと書かれてない? 見たいなーそれ
167 :革命的名無しさん:2010/03/04(木) 20:45:00
>>166

コピペよろ。(それ、問題ありかな?)
168 :革命的名無しさん:2010/03/06(土) 00:15:34
書いてあったよ。おもろー
169 :革命的名無しさん[SAGE]:2010/03/06(土) 09:23:48
>>再び集まった狙いは一体、何だったのか。
茶のみ話のためじゃろう。
170 :革命的名無しさん:2010/03/06(土) 21:20:22
>>168

1行だけでいいから、ここにコピペしてくれ。
171 :希流[sage]:2010/03/09(火) 12:09:23
山本さんの件も生前葬の話でしょう。
参加するのかねえ。

172 :革命的名無しさん:2010/03/20(土) 14:18:38
塩見ってまだ生き恥さらしてんの
173 :革命的名無しさん[SAGE]:2010/03/21(日) 13:33:21
はい、それが何か。
174 :革命的名無しさん:2010/03/25(木) 09:35:34
塩見さんて若いときは格好良かったの? 愛するサチ子より
175 :革命的名無しさん:2010/03/27(土) 10:10:36
塩見とマイミクになった。
日記が塩見だらけになった。
176 :革命的名無しさん:2010/03/27(土) 10:12:16
若いときは「舘ひろし」みたいでしたよ。猫ひろしではありません。
177 :革命的名無しさん:2010/03/27(土) 11:35:56
●(元赤軍派議長)塩見尊師の生前葬が開催されます。
高原正大師やバロン正小師もいらっしゃるのでしょうか。
今度は(普天間闘争に絡んで)沖縄からの上京隊1000名を組織されるそうです。
かっての1000名の抜刀隊はできませんでしたが・・・ その費用のカンパのためにも・・・

1.日時 4月24日(土)午後6時15分
2、会場 総評会館
3、会費 無料(ご厚志を歓迎します)

なお
?この催事は、しめやかなることを望みません。参加者各位のユーモアあるひらめきが輝くことを望みます

?「弔辞」を募集します(締め切り4月5日)。希望する内容は「塩見・沖縄・笑い」の3点セットです。

178 :革命的名無しさん:2010/03/30(火) 16:33:13
生前葬の関連メールより

『「塩見君生前葬」の発想を活かし、その成功裡な貫徹が出来るか否かは、マルキストの僕が、この問題に下山提案を受けて、塩見思想主義者として、この問題解決に挑戦したものと僕自身は考えております。』

塩見思想主義者って何?
179 :革命的名無しさん:2010/03/31(水) 10:32:17
既出? mixiに塩見コミュありますね。 
180 :革命的名無しさん:2010/04/02(金) 16:53:21
塩見自身が創った0721コミュだろ
181 :革命的名無しさん:2010/04/04(日) 09:13:24
>>塩見思想主義者って何?
倖田來未の「恋愛至上主義者」と同じようなもんだと思うよ。
182 :革命的名無しさん:2010/04/04(日) 18:51:50
議会制民主主義の国家でゲバラごっこ、革命ごっこ
何が世が世なら日本人民巨和国の初代大統領か?
ただの犯罪者だろ。
66歳で生まれて初めて働いて、「労働の意義を知る」だって。
馬鹿じゃねえの、こいつ
183 :革命的名無しさん:2010/04/05(月) 23:38:01
塩見からマイミク申請がきた。
承認したら日記が塩見だらけになった。

184 :革命的名無しさん:2010/04/24(土) 11:23:50
俺も塩見からマイミク申請がきた。
承認したら日記が塩見だらけになった。
185 :革命的名無しさん:2010/04/24(土) 11:28:23
貴方も塩見理想主義者になったのですね。
186 :革命的名無しさん:2010/04/24(土) 13:22:38
塩見とか活動家ってなんで「アッピール」って言うの?
アピールじゃ駄目なの? 地味にうざいんだけど。
187 :革命的名無しさん[sage]:2010/04/24(土) 16:38:19
生前葬。塩見もつまらないことやるね。
まともな元活動家やかつての塩見の仲間は相手にしてないね。
塩見を祭り上げてるほんの一部の馬鹿と左翼有名人好きの若いアホばかり。
188 :革命的名無しさん:2010/04/24(土) 23:52:07
元サヨの馬鹿レス? 笑
189 :革命的名無しさん:2010/04/25(日) 13:50:14
若松さんはまともそうなのに塩見の取り巻きにいるのが残念
190 :革命的名無しさん:2010/04/25(日) 13:54:42
雨宮かりんさんは「初めて塩見さんを尊敬した」らしいぞ。
って事は「今まで馬鹿にしていた」って事か。
191 :革命的名無しさん:2010/04/25(日) 17:32:57
そおいうこと
192 :RF:2010/04/25(日) 17:34:13
ひどいよ。
193 :RF:2010/05/01(土) 10:38:57
よど号の同志」が炎の行者に連れられて帰国するらしいが。
194 :革命的名無しさん:2010/05/01(土) 22:55:18
塩見孝也北朝鮮に追放するべき。
195 :革命的名無しさん::2010/05/01(土) 23:22:30
塩見さんは最低限、よど号の犯人らの帰国に責任を持って対処すべき立場
にあるのじゃないか?

だって、自分も加わっていたかもしれない仲間のことだろ。もうイヤだ、
生前葬をやって、これからは駐車場の管理人やって老後を過ごすんだよ、
なんて言ってられる立場なのかよ。
196 :革命的名無しさん:2010/05/02(日) 09:18:30
大丈夫だ。小西らは炎の行者を信頼している。塩見氏には期待してないべ。
年内にも帰国する。
197 :革命的名無しさん::2010/05/02(日) 10:56:34
炎の行者? 何だそりゃ?

ところで疑問なんだが、小西らは金正日の承認なしに帰国できるの?
日本みたいに個人が勝手に旅行会社とフライト契約できるところじゃなかんべよ。
まして金日成の頃から生活の面倒をさんざん見てもらっているのだから、
「じゃあ、勝手に帰れ」というわけにはいかないでしょうよ。

日本政府も拉致被害者なら積極的に交渉の土俵に載せるだろうけど、よど号の犯人
なんか「知らんよ。朝鮮の土地で果てろ」ぐらいに思っているのでは?なにしろ、
祖国日本に後ろ足で泥を引っ掛けて北に行った連中だからな。

それから、気になるのが吉田金太郎の行方。ひょっとして、政治犯収容所に送られ、
そこで死んでいるのでは?
198 :革命的名無しさん:2010/05/02(日) 11:10:06
コニタンに聞いてください。今週の週刊朝日に載ってます。
金ちゃんももてあましてるみたいよ。

それから吉田の金ちゃんなら「出自」が問題になって粛清されたらしいよ。

199 :革命的名無しさん::2010/05/02(日) 11:11:45
いずれにせよ、塩見さんは小説のモデルとしては面白い人生を送ったな。

女のヒモになりながら荒唐無稽な革命を夢想して破れ、逮捕投獄までされるが、
出所しても誰も歓呼の声で迎えようとせず、バイトをしながら路傍の隅で果てる
なんて、誰もが送れる人生じゃあない。小説家が脚色したら現代版の「人間失格
が書けそうだ。(笑)

200 :革命的名無しさん:2010/05/02(日) 11:27:50
>>誰も歓呼の声で迎えようとせず
それは誤解。京都大学の元総長も出獄パーティに参加したなも。
201 :革命的名無しさん::2010/05/02(日) 14:44:48
>198
情報サンクス。

早速、週間朝日を買ってきて該当部分を読んだよ。

「炎の行者」とは、鹿児島の最福寺法主・池口恵観のことね。「日朝文化交流団」の団長ということで、
よど号犯の日本帰国について、1)北朝鮮外務省から許可を得ている、2)日本政府との交渉の一切を
よど号」のグループから委任されている、とある。

これなら帰れそうだね。金正日がOKしない限り、北朝鮮外務省が許可を出すことはありえないからだ。
確かに、塩見さんが間に入るとまた変な要求や「闘争」をしてメチャクチャになりそうなところを、こう
いう常識人の坊さんが間に入ってくれれば安心だろう。

先に日本に潜伏して逮捕された柴田泰弘の例からすると、航空機略取・不法監禁の罪が適用されて刑期は
5年ぐらいかな。タダ飯食らって回想録の執筆もできると考えれば、いいんでねえの?

俺としては、連中は北朝鮮の崩壊まで平壌に留まり、北朝鮮国内から情勢のレポートをして貰いたいと思う
が、連中が帰国したいというなら、仕方なかんべ。

202 :革命的名無しさん:2010/05/02(日) 18:26:13
ほうだね。塩見氏が入るとややこしくなる。
コニタンもそこらを見てるんだろうだっぺ。
203 :革命的名無しさん:2010/05/02(日) 18:34:12
小西さんねえ。東大医学部としては相当割りを食った人生だったねえ。
204 :革命的名無しさん:2010/05/02(日) 19:18:09
ほんまでんな。世が世なら小西病院の院長先生なのにね。
205 :革命的名無しさん::2010/05/03(月) 11:36:39
「要するに、僕のこれまでの生涯は、民衆に奉仕するというより、民衆に寄生してきたのです。奉仕されるばかりで、自前の職業的労働すらしてこなかった。これは情けないことで、
よく生きてこられたなとも思う。だからこそ、自己労働を幾ばくかでもやり、本物の革命家になりたいと思うわけです」。

http://sankei.jp.msn.com/photos/life/trend/080703/trd0807032211019-p1.htm

66歳でこんなことを言っているなんて相当にアホだな。

社会との協調性を著しく欠くと、それはもう病気と診断されることもあるのではないか。


206 :革命的名無しさん::2010/05/03(月) 18:00:22
社会学者の宮台真司さんは「塩見さんは壮大な勘違いの生き仏みたいなものだ。
勘違いが壮大すぎるととんでもないことになる」とステージの塩見氏に呼び掛けた。

http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20100424-622075.html

ワロタ。
207 :党一京会=2ちゃんウン営=清和会=サッ長連合[sage]:2010/05/05(水) 00:42:57
2ちゃんねる
http://megalodon.jp/2010-0505-0028-11/jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/school/1381/1248878879/746
2ちゃんねるは党一京会の世▲論工作所として作られてる。あとI▲P集めが目的。

今年の7月から東京にあるネ▲ットカフェはすべて会員制になります。匿名書き込みできなくなりました。
警▲察が、ユダヤ(統一京会)やサッ長連合のために警察がインターネ▲ットカフェ規制をする。

第二次世界大戦時、油田のないドイツに石油を販売していたのは、英国女王支配下の石油会社。
アメリカ軍から「日本の水道水には塩素が入ってるので飲めない」と言われた。
GHQのマッカーサーが日本人を弱らすために水道水に塩素を入れた。古い水道管から溶けだす鉛や、
農薬や有機物質と塩素が化合し、トリハロメタンやMX等が猛毒の原因にもなっている。
上九一色村のオウム強制捜査前に、警察幹部が池田に「最初の機動隊員が50名から150名が死ぬかも」といった。
──裏の支配者グループが「資本主義」と「共産主義」を作り出した──
東のアジアで、太平洋を越えて大陸共産圏と直接「対峙」でき、かつ強大な軍の「拠点」となり得るのは、
日本列島しかなかった。このための具体的な占領施策が、次の四つだった。
1.一方的なやらせ裁判である極東軍事裁判(東京裁判) 2.GHQ作成の日本憲法の押しつけ
3.約7000冊にものぼる歴史・戦略等図書の焚書  4.完璧な検閲体制
江藤淳氏はこれを「戦争犯罪情報プログラム(戦争犯罪周知宣伝計画)に基づいた占領政策」と指摘している。
【池田整治 (著)  マインドコントロール
http://megalodon.jp/2010-0402-0207-39/jb▲bs.li▲vedoor.jp/b▲bs/read.cgi/study/368/1▲074780696/156-163

■いま日本の支配者はサッ長連合(鹿児島県、山口県)の田舎侍たちです。日本はいまだに武家社会です■

・総理大臣、大蔵大臣、外務大臣や公安、警察、自衛隊の歴代トップは鹿児島県、山口県高知県
佐賀県長崎県出身者ばかりです。国策捜査はサッ長連合やアメリカのための捜査です。
詳細 http://megalodon.jp/2010-0406-1616-37/anchorage.2ch.net/test/read.cgi/siberia/1270526809/2-4
閨 閥http://www.kyudan.com/column/keibatu.htm
208 :nobo[heiseimaru2003@gmail.com ]:2010/05/06(木) 10:19:49
生前葬の話
209 :革命的名無しさん:2010/05/22(土) 10:02:33
あげ
210 :革命的名無しさん:2010/05/24(月) 11:00:59
塩見なんぞとっくの昔に思想的に破産して
活動家としちゃぁ、既に死を迎えてるじゃん。


211 :革命的名無しさん:2010/05/24(月) 20:11:35
>>210
思想的破産を言うのであれば
塩見どころか、マルクス主義そのものが
とっくに思想的に破産してると思うがな。
今やマルクス主義は一宗派として、
未練を断ち切れない赤い老耄どもへ
アヘンの機能を提供してる。
212 :革命的名無しさん:2010/05/27(木) 18:31:33
>>211
まぁ、そう一刀両断風な切り方をせんと。
誰しも、信ずるモノは必要というか、不可避に背負ってしまう
もんだわな。
それがお金の人のあれば、有名な世界宗派の人もあるんよ。
からして、マルクス主義を現在でも信ずる人がおってもしゃーないわな。
ただ、マルクス主義こそが唯一の真理だなどと無知蒙昧を振りかざした時、
そんな時にこそボコボコと鉄槌を下せばいいんよ。
213 :革命的名無しさん:2010/05/27(木) 18:51:32
塩爺が改めて革命家目指すんだってさ。
すぐに痴呆症になって養老院にぶちこまれて
革命政権樹立の幻覚やインターナショナルの幻聴で体験するんだろう。
脳内で日本人民共和国の初代議長になってね。


214 :革命的名無しさん::2010/06/01(火) 09:17:42
>塩爺

オモロ。もう、この人はどっちに転んでも人畜無害。

「これからは一般の市井人として生きる」ぐらい言ったほうがカッコよかったのに、
「革命家」などと言ってしまうところがイタイけど、もうどうでもいいやん。
215 :革命的名無しさん::2010/06/01(火) 09:43:04
>信ずるモノは必要

それがとんでもない間違い・勘違い・誤りと分かった時点で
態度を改める柔軟さも必要。塩爺の場合は遅すぎる。
216 :革命的名無しさん:2010/06/01(火) 16:28:41
「われわれは明日のジョーである」
と絶叫し、金大元帥閣下の御胸へとびこんでいった痛いお友達も呼んであげて。

217 :革命的名無しさん:2010/06/29(火) 19:19:17
>>216
田宮さんの死因って、心臓麻痺だっけ?
やっぱり吉田金太郎さんと同じく、偉大なる首領様に逆らって粛清されたのかな?
218 :革命的名無しさん:2010/06/30(水) 12:22:02
「私を待っている人が日本にいるなら帰国する」
こう決意した翌日に死にました。
219 :革命的名無しさん:2010/07/03(土) 09:27:23
連合赤軍森恒夫は塩見氏宛てに「もう一度、なんとしても頑張る」と書いた
翌日に自殺?した。
220 :革命的名無しさん::2010/07/11(日) 10:59:38
この人も選挙に行くのかな?暴力革命で倒そうとしたシステムのはずだが。
221 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 11:06:07
今は更生してます。
222 :革命的名無しさん::2010/07/11(日) 11:31:34
彼にくっついていった連中も、ついでに生前葬をするなりザンゲをするなり
して、一人の日本国民として更生したほうがいいな。もう二度と「革命」など
と口にすべきではないのだ。誰も支持していないことは明らかなのだから。
親分が刀を捨てたというのに、それでもどこか暴力沙汰のニオイのするところに
出かけていって「我が青春よみがえり」とばかり平和的運動を先鋭化させ暴力の道
に扇動するなら、これはもう救いようがないというしかない。
223 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 11:39:13
一度、脚光を浴びた一発屋はね。
あのスポットライトの味が永久に忘れられないの。

ちゃんと伝統芸能として保護してあげて。
224 :革命的名無しさん::2010/07/11(日) 12:05:56
塩見氏を座長とするチンドン屋の一座は、どうしても衆人注視の味が
一生忘れられないってか。まあ、勝手にすればいい。江頭2時50分も
「ワンクールの仕事より一つの伝説」をモットーとしているようだから、
カメラの前でチンコ出しするなり、素っ裸になってストリーキングする
なり、みっともないマネを続けられるのも日本ならではの自由が保障
された社会があってのことだからな。法律さえ犯さなければ誰も文句は
言わないだろうよ。
225 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 12:14:53
それは困る。批判(文句)を受けてこそ党の存在価値があるのだ。
226 :革命的名無しさん::2010/07/11(日) 21:12:51

愛の反対は憎しみではなくて無関心ってね。
227 :革命的名無しさん:2010/07/14(水) 09:16:41
僕を相手にして そう君に言った このスレ主は塩見尊師。
228 :革命的名無しさん:2010/08/01(日) 09:55:26
ところで生前葬で「お布施」は集まったのかい。
229 :革命的名無しさん:2010/08/01(日) 19:51:34
死ぬまで人にたかる人生だったよな。一度くらい人に与えよ
230 :希流[sage]:2010/08/03(火) 10:23:20
生前葬ではほとんど金が集まらなかったはず。
集会参加費無料、ただで飲食まで提供してしまったのは失敗でしょう。
せっかく集めた香典も経費で吹き飛び、結局沖縄へのカンパは
ごく少額にて終了。ちょっと常識的な金銭感覚に欠いていたようで。
231 :革命的名無しさん:2010/08/03(火) 12:29:13
なんとね!!お布施も浪費してしまったのですか?
M作戦の埋蔵金はどっかにないですか?榛名山あたりに。
232 :革命的名無しさん:2010/08/03(火) 12:31:05
>>ただで飲食まで提供してしまったのは
赤軍ラーメンでもふるまったとですか。
233 :革命的名無しさん:2010/08/11(水) 12:34:44
あげ
234 :革命的名無しさん:2010/08/12(木) 10:00:28
>>230
まあ、葬式というのはそういうもんなのにな……w
それなりの葬祭費を香典でカバーする。トントンで収めるのが一般的。
235 :革命的名無しさん:2010/08/14(土) 15:18:11
という事は・・・・
千名の抜刀隊ならぬ上京隊も・・また・・ホラに・・・・
236 :革命的名無しさん:2010/08/29(日) 10:09:35
赤軍派の幹部には女性秘書がつき
強姦事件があっても不問であったそうだが本当か。

237 :革命的名無しさん:2010/09/04(土) 20:04:30
>>231
各党派が分裂あるいは消滅する祭には、闘争資金(組織維持資金も含め)
や事務所の備品はどこかへ消えてしまうものです。
旗派解体時のコピー機騒動は有名ですよね。
かくいう私も、事務所の機関誌や雑誌類を古本屋に叩き売って
飲み代にしてしまった過去がある。
238 :革命的名無しさん[sage]:2010/09/04(土) 20:22:59
>>237
詮索するようで恐縮ですが、どこの党派ですか?
239 :237:2010/09/04(土) 20:57:57
>>238
流れから言えばブント系です。
70年代後半から80年代前半にかけて分裂、合流の
繰り返しの中で、少数派によくある先細りの自然消滅でした。

古本屋に叩き売った金で、新宿の小便横丁で焼酎を飲んだ。
何故か美味かった記憶がある。
240 :革命的名無しさん:2010/09/05(日) 19:59:28
ブントの離合・集散模様については一時期、2ちゃんのブント関連スレで
賑やかに展開されていたが、この頃はさっぱりだなあ。

「80年代ブント」スレは初期の内容からは逸脱した全く違う展開になって久しい。
誰か本来の正当(?)ブントスレを改めて立ち上げてくれんか。
241 :椎茸農家 ◆DlyW/s8ibQ :2010/09/05(日) 20:11:03
おこちゃまの革命ごっこだから消滅したの^^;
242 :希流[sage]:2010/09/06(月) 00:59:42
>>235

当初の目標だった生前葬でウン百万集めるなんてのはまったく馬鹿話。
実際のところは数十万程度がやっとだったとか。
ただしその金額も結局カンパされたのかどうか分からない。
発案者だった下山さんはずいぶんと非難されたらしい。
まあ当然ですが。
243 :革命的名無しさん:2010/09/14(火) 07:23:46
ただの苦労知らずのバカ左翼のスレはここですね

244 :革命的名無しさん[SAGE]:2010/09/14(火) 12:22:20
>>242
大阪戦争・東京戦争のころからまったく進歩してないわけね。
245 :革命的名無しさん:2010/09/14(火) 12:27:07
それで最後は仏派あたりに頼って生活保護だろう。


246 :新快促便者:2010/09/17(金) 11:18:11
赤軍
戦後の教育の失敗でしょうか?
247 :革命的名無しさん:2010/09/18(土) 09:03:21
赤軍派に結集したのは「地方田舎大学の跳ね返り」と「扇動に乗りやすい無学無教養のルンプロ」ですからね。
どんな教育体制を取ろうと「イカレタ奴」は必ず存在しますよ。
248 :革命的名無しさん:2010/09/18(土) 13:45:48
もっとも、教育なんぞ鋳型に嵌め込むことの別名でしかない、という
シモーヌ・ヴェイユの観点からすれば、「イカレタ奴」にも意味はある、と。
249 :革命的名無しさん:2010/09/18(土) 19:46:48
>>248
>「イカレタ奴」にも意味はある、と。

反面教師としてかな?
250 :革命的名無しさん:2010/09/19(日) 00:56:23
>>237
三上が持ってた云々?
251 :革命的名無しさん:2010/09/19(日) 00:57:38
>>236
ホントのわけがねえだろw
252 :革命的名無しさん:2010/09/19(日) 10:06:51
>>249
なるほど!間違ってもあんな人間だけにはなっていけない!!と。
253 :革命的名無しさん:2010/09/19(日) 10:23:01
>>251
だったら貴方は小熊英二さんの『1968』に抗議しないと
そう書いてあるんだからさ。

254 :革命的名無しさん:2010/09/19(日) 11:02:06
>>253
> 小熊英二

あれをそのまま額面どおりに受けとるな。すが本も一緒だ。
255 :革命的名無しさん:2010/09/19(日) 11:07:11
>>253
おまいみたいに本に書いてあることを何でも信じるヤシが幸福の科学あたりにコロっとやられるんだぜ。
誰が著者だって検証するのは個々でやること。本来そうあらねばならないところ。
それからそれらに由来する抗議先ならヤマほどある。
もちろん早急にせねばならないところはやるだろうけどな。

256 :革命的名無しさん:2010/09/19(日) 11:18:09
その前に「みんなの党」にやられた。そりゃ冗談だけどさ。
あのね。個人でそんな調査能力あるわけじゃないしさ。
赤軍派なら、そのレベルだろう  こう思われるような事をやってきたのが問題でしょ。
257 :革命的名無しさん:2010/09/19(日) 11:39:03
>>256
最低限は図書館で読める程度の証言本を読んだほうがいいんじゃないかな。
258 :革命的名無しさん[SAGE]:2010/09/22(水) 12:26:00
なるほど!『宿命』とか『赤い雪』ですね。
259 :革命的名無しさん:2010/10/03(日) 10:41:21
『赤い雪』に証言が書いてありました。
女性兵士は何度も流産させられて、お腹が痛い・・って。
260 :革命的名無しさん:2010/10/23(土) 09:09:31
261 :革命的名無しさん:2010/10/24(日) 07:54:49
過疎スレ 生め 梅 うめ 埋め 宇目 ウメ 産め ume
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


262 :革命的名無しさん:2010/10/24(日) 08:48:58
>女性兵士は何度も流産させられて、お腹が痛い・・って。

朝から嫌な話を読んじまった・・・
酒飲みたくなってきたな・・・

263 :革命的名無しさん:2010/10/24(日) 09:06:03
>>262

ほな、わかめ酒なんぞがお薦めでっせ。
264 :革命的名無しさん:2010/10/31(日) 15:05:27
洒落にもならん
265 :革命的名無しさん:2010/11/11(木) 17:55:56
過疎スレ 生め 梅 うめ 埋め 宇目 ウメ 産め ume

266 :革命的名無しさん:2010/11/17(水) 21:43:39
過疎スレ 生め 梅 うめ 埋め 宇目 ウメ 産め ume
267 :革命的名無しさん:2010/12/11(土) 18:38:04
植垣さんと和解せよ!
268 :革命的名無しさん:2010/12/12(日) 16:37:10
ムリよ
269 :革命的名無しさん:2010/12/12(日) 19:33:47
俺らみたいに、団塊よりちょい下の世代は
団塊の女癖の悪さを見せつけられてるよ。
270 :革命的名無しさん:2010/12/12(日) 19:42:42
女癖だけか。転向癖。日和見癖もだろう。
271 :革命的名無しさん:2010/12/16(木) 19:28:50

アラビア語で報道する日本赤軍リーダーの娘

http://s1.shard.jp/rabbit1/02/7/80_4.html

流暢にアラビア語で伝えていた。
272 :革命的名無しさん:2010/12/16(木) 20:54:26
>>271
サンクス あはは
273 :革命的名無しさん:2010/12/18(土) 10:20:14
電波は不要です。
274 :革命的名無しさん[sage]:2010/12/19(日) 16:17:28
この人の過渡期世界論って書籍に収録されたりしてますか?
総括として振り返っているものはあるけど、当時のものそのままのが読みたいです。

275 :革命的名無しさん:2010/12/25(土) 13:39:16
大阪都とか、名古屋市とかは、連合赤軍のように、自分等が決起して行動を起こすと、みんなも決起して革命が起きると思っているのだろうか?
276 :革命的名無しさん:2010/12/25(土) 16:47:46
いくら非武装戦争放棄、平和主義ときれいなことをいっても
それを現実化しているのは米軍なのであって、米軍によって支え
られた平和主義という欺瞞が戦後日本の姿だ。

つまり憲法九条と日米安保はワンセットになっている。


277 :革命的名無しさん:2010/12/26(日) 09:15:34
>>275
はああい。
278 :革命的名無しさん:2010/12/27(月) 10:17:17
三島由紀夫も似たような時代に決起を起こしているな。
赤軍に感化されたのかな
279 :革命的名無しさん:2010/12/28(火) 18:43:57
警備員をして暮らしていると書いてあったけど、今もそうなの?
280 :革命的名無しさん:2010/12/30(木) 19:31:38
この人、もう何の力も持ってないの?
書き込みもないけど。
281 :革命的名無しさん:2011/01/02(日) 13:50:02
>>279
今は駐車場の管理人です。
>>280
いや、生前葬をやる力の持ち主です。
282 :革命的名無しさん:2011/01/02(日) 18:36:45
要は、塩見はもう過去形でしか物事を語れないってことよ。
283 :革命的名無しさん:2011/01/29(土) 11:21:43
そろそろ・・だね
284 :革命的名無しさん:2011/01/29(土) 12:31:36
共産党員が何を言うか!?序|序|序|序|序|】
おまいら、財務官僚に買収された共産党員=権力の犬が一体、何を寝言言うのか?
文句あれば一年に幾らで買収されているか正直に白状しろ!
おまいらが何で身奇麗なんだ?序|序|序|序|アホンダラ!序|序|序|序|
285 :革命的名無しさん:2011/01/30(日) 11:15:03
はて?何のことやら・・・
革命運動を決定的に壊滅させたトロッキスト暴力集団にそんな事言われてもね。
286 :革命的名無しさん:2011/01/30(日) 14:00:15
>>285
革命運動って、そげなもん一体何処に存在したん?
敗戦後、唯一革命って幻想を多くの日本人が共有しかけたゼネスト
GHQの"お言葉"だけで圧殺したんは、日本共産党じゃろがいな。
287 :希流[sage]:2011/01/31(月) 15:08:38
いやいや、ルネ研の資本論の部会のトップになりそうですよ。
288 :革命的名無しさん:2011/02/08(火) 11:58:33
塩爺、永田の死について何か感想を言っているかや?
289 :革命的名無しさん:2011/02/08(火) 16:27:18
>>286
知りへんなあ。愛知の市長選と県知事選で、またまた供託金を
没収されたんは、知ってまんがな。
290 :革命的名無しさん:2011/02/08(火) 17:04:52
もうすぐ、永田と森からお迎えがくるよ。
291 :革命的名無しさん:2011/02/09(水) 05:12:51
他のマイミクは躊躇なく切り捨てる事が出来るが、塩見先生だけは永遠にマイミクだぜ!
292 :革命的名無しさん:2011/02/09(水) 23:02:02
日本共産党に徹底的にコケにされた悲惨な人生!エイズでもいいから、早く、あの世へ
イキたい!
もう、何も残っていない!共産党は、早く消えて無くなってくれ!
これ以上ホラ吹いて活動(笑)するようなモノなんか獣以下だ!
293 :革命的名無しさん:2011/02/09(水) 23:21:16
>>292
その通り、同感です。共産党員どもは畜生、獣以下ですな。
あれだけ見事な罪状があるにも拘わらず、頭のてっぺんから爪先まで、
未だに見え見えの真っ赤な嘘をついて活動し赤旗を読んでいる姿には
全身凍りつくような悪寒を覚えますな。
294 :革命的名無しさん:2011/02/09(水) 23:33:34
共産党員はサタンの使い、死に神だ。
マインドコントロールにかかっている党員には、同じ党員が殺人しようが、
泥棒しようが、思考盗聴盗撮しようが、常識のない共産党至上というキチガイ電波により、
次々に違憲違法行為、反革命行為、ファッショ破壊活動を遂行し顧みることは
決してしないのです!奴らのキチガイ共産党意識は、マインドコントロールにより
操作されている、とすると、現在の落ち目の三大夫でさえ活動する理由が良く説明出来るのです!
295 :革命的名無しさん:2011/02/09(水) 23:36:17
共産党員どもに対するキチガイ電波コントロールの主は、財界とアメリカ軍です。

296 :革命的名無しさん:2011/02/10(木) 07:50:14
ダッカとかで塩見が釈放要求されなかったのはなんでなの?
297 :革命的名無しさん[SAGE]:2011/02/12(土) 11:32:49
痔と意地が悪かったから。
298 :革命的名無しさん:2011/02/12(土) 11:48:08
>>296
そうなんだよな。


299 :革命的名無しさん[sage]:2011/02/13(日) 22:46:00
>>296
坂東、植垣以下の評価だってことw
300 :革命的名無しさん:2011/02/20(日) 18:58:45.27
塩見損師は松浦以下の評価かよ。
301 :革命的名無しさん[sage]:2011/02/21(月) 19:45:43.84
社民に堕落した塩見は、赤軍派の裏切り者だよ。
302 :革命的名無しさん:2011/04/02(土) 11:22:16.67
除名しましょう。
303 :革命的名無しさん:2011/04/02(土) 11:30:55.81
tes
304 :革命的名無しさん:2011/04/15(金) 22:36:25.38
@NakagawaFumito: かつて災害を起こす側にいた塩見孝也赤軍派議長と協議。
「東北の悲劇は明治以降の資本主義がもたらした悲劇である。このことを
あいまいにしてはいけない」との認識で一致。
305 :革命的名無しさん:2011/04/16(土) 16:48:36.91
進歩のない連中だなあ
306 :革命的名無しさん[sage]:2011/05/02(月) 16:35:49.35
 だからそれは永田の責任じゃなくて、やっぱりマルクス主義が抱えていた限界なのです。マルクス