September 30, 2004
■西尾問題における「2ちゃんねる」の政治学
■「空白の10分間」問題が意味するもの
 最近、西尾幹二氏や中西輝政氏らが論壇やインターネットの世界で提起している「空白の10分間」問題は、軽薄・陰湿な小泉政治の暗部を照らし出していて興味深い。小泉総理が、さきの再訪朝の時、10分間だけ通訳や外務省の担当者もはずして所在不明になったと言う問題である。むろん、その10分間に、小泉総理は拉致問題解決や日朝国交回復を急ぐあまり、金正日と直接の密談を行い、経済支援だけではなく秘密の別の重要な約束をさせられたのではないか、と言う問題提起である。なるほどと思う人は多いだろう。
 ところで、この「空白の10分間」という衝撃的な大問題は、大手マスコミで話題になることはなかった。完全に黙殺された。わずかに「日刊ゲンダイ」だけがこの問題を取り上げ、この記事を元に某局のテレビがニュースとして流したたけだったらしい。
 何故、この大ニュースは黙殺されたのか。そこに小泉政治の問題は隠されている。うがった見方をすれば、権力と権力に追随するメディアの陰謀と結託によって様々な問題が抑圧され隠蔽されようとしているということだ。物言えば、唇寒し、小泉政治・・・というわけだ。
 さてそこで問題だ。実は、この問題提起自体を押しつぶそうとする勢力がいるようなのだ。しかもそれは普通の雑誌や新聞、テレビが舞台ではない。「2ちゃんねる」やインターネッが舞台だ。つまり、「2ちゃんねる」やインターネットの世界では、不思議なことに圧倒的に多数のものが、この問題を巡って、中西氏や西尾氏を、「似非保守」、「小泉内閣倒閣運動を仕掛ける反政府分子」と言ったニュアンスで批判し罵倒している。明らかに小泉擁護派とみられる勢力が、この騒動に加わり、組織的に西尾氏や中西氏を攻撃していることがわかる。むろん、小泉内閣を擁護し、中西氏や西尾氏を批判することは自由である。しかしその擁護と批判が不自然なのだ。巧妙に組織化されているように感じられるのである。つまり今回のインターネットにおける「西尾バッシンク゛」には何か不自然なものが感じられるのだ。
■西尾バッシングが意味するものは何か
 西尾氏は、この「空白の10分間」問題に関する発言をめぐって、インターネットで、「西尾批判」の急先鋒だった「ある匿名ライター」に対して、相手は匿名のままであるにもかかわらず、「一部に誤解に基づく発言があった」と謝罪し、発言の一部を取り消した。ある仲介者を仲立ちにして和解したのだそうである。これも異例のことである。西尾氏も何か不穏な動きを感じたのだろうか。そしてさらに不可解なことに、この和解が公表されるや、「2ちゃんねる」で沸き起こっていた「西尾バッシング」の「書き込み」が急速に下火になっていったことである。何故か。
 西尾幹二氏は、某女史の支援の元に「ブログ日記」なるものをつけている。そしてそこに掲示板なるものを設置して、読者のカキコミが自由に出来るようにしている。いかにも論壇で活躍する西尾氏にふさわしく、この掲示板には多数のアクセスがあり、カキコミも少なくない。そこまでは普通の話である。
 しかし、今回、西尾氏が「空白の10分間」問題を提起して小泉批判を展開し始めた途端に西尾掲示板で激しい組織的とも思われる西尾批判が始まった。西尾が「小泉倒閣運動」を始めた、西尾はもう保守ではない、西尾は狂ったのか、というわけだ。むろん、小泉批判小泉内閣倒閣運動は別に保守陣営では珍しくもない。しかし西尾掲示板では、西尾氏だけが倒閣に立ちあがったとでも言わんばかりに、「小泉内閣打倒に立ち上がった西尾幹二」という観点からの西尾批判が沸騰した。私は、これまで西尾氏による小泉内閣に対する評価の変遷がどうであったか詳細には知らないが、それにしても不思議なことである。
 「2ちゃんねる」とは、匿名の筆者たちによる無秩序な言論空間として登場し、それゆえに新しいが危険な言論空間として批判されたり擁護されたりしてきたはずだが、今回の「西尾騒動」は、どうもそうではないようなのだ。自由な言論空間だからこそ一部の政治権力によって支配され悪用される可能性もあるということだろうか。おそらく大新聞や論壇雑誌の言論よりも大衆メディアの動向に注目していると言われる小泉総理周辺は、「2ちゃんねる」の言論空間にも注目しているのだろう。
■物言えば、唇寒し、小泉政治・・・
 「2ちゃんねる」やインターネットの世界こそ政府批判の宝庫であってもおかしくないはずだが、しかし現実は逆である。たしかに、「小泉批判」をすると即座に「北朝鮮の手先…」だの、「国際政治を知らない無知蒙昧な日本人…」だのと、ドイツからメールマガジンに書いて送信するような怪しいネット文化人(「クライン孝子の日記」)もいないわけではない。しかし、それは例外である。むしろ保守思想家や保守論壇の世界では、「小泉内閣批判・即・反保守」と考える人の方が少数派だろう。
 私は、「2ちゃんねる」やインターネットそのものに政治権力の手が回っているのではなかろうか、という疑いを禁じえない。要するにこれは、官邸の政治権力と結びついた一部の保守勢力(小泉擁護派)が「2ちゃんねる」やインターネットの世界に存在し、彼等による組織的、集団的な言論弾圧、言論封殺が行われているということだ。間違っているだろうか。
 イラク人質の「自作自演」騒動、拉致被害者家族会への「メール攻撃」騒動、そして今回の西尾幹二バッシング。
 これらは何を意味しているか。騒動の中身ではなく、騒動そのものが意味するものである。明らかに、「2ちゃんねる」を舞台に特定の反政府的な(反小泉的な?)人物への組織的バッシングが、行われている。「2ちゃんねる」的言説こそ管理されている。

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Posted by koutarou_yamazaki at 01:44 │Comments(3) │TrackBack(1)
August 30, 2004
大月隆寛への公開状?… ■ 今こそ、大月隆寛のネット犯罪を検証せよ!!
月刊論壇誌『自由』8月号
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大月隆寛への公開状?
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  ■ 今こそ、大月隆寛のネット犯罪を検証せよ!!



 過日、田口ランディの新作『富士山』(文藝春秋)が2004年度後期の直木賞候補になったことがわかった。受賞したのは奥田英明と熊谷達也で、田口ランディは結果的には受賞することはなかったが、しかし受賞そのものは別問題として、候補になったこと自体をまずは喜びたい。これは、数年前から「2ちゃんねる」を舞台に不当な「盗作疑惑騒動」に巻き込まれ、作家生命まで失いかねない状況にあった田口ランディが、作家としてみごとに復権に成功したということを意味するからだ。



 ところで、この「田口ランディ盗作騒動」の仕掛け人の一人が、自称「民俗学者」の大月隆寛であった。大月隆寛は、編著者として、有名無名の素人たちまで巻き込んで『田口ランディ その「盗作=万引き」の研究』(鹿砦社)といういかがわしい本まで刊行している。責任は重大だと思われる。むろん、「田口ランデイ盗作疑惑騒動」が法律的にネット犯罪として告発されるようなことがあれば、真っ先に責任を追及されなければならないのが大月隆寛であることは間違いないだろう。



 大月隆寛は「イラン人質騒動」でも「人質自作自演説」をネットで吹聴し、しかもその上女性人質の自宅(北海道)にまで押しかけ、玄関先で「バカヤロー」と怒鳴って物笑いの種になったそうだが、「田口ランディ盗作疑惑騒動」で大月隆寛がやったことも明らかに言論活動や思想表現の常識を逸脱している。



山崎マキコの思考奪取と被害妄想



 「盗作疑惑騒動」で重要な役割を演じたのは山崎マキコという女性である。前述の本にも登場し盗作疑惑をネタに田口ランディへの批判を繰り返している。なぜ、彼女は「盗作された・・…」「イジメにあった……」と執拗に告白するのか。それはかつての仲間の一人が突然、作家としてデビューし、しかも爆発的に売れたからであろう。もしその小説が売れなかったら……。



 山崎マキコの文章は、落ちこぼれてしまった自分とその現実を認めたくないと言う「被害妄想」と「思考奪取」の強迫観念によって書かれている。おそらくこういう事件(トラブル)は、これまでもかなり頻繁に起きていたと思われる。文壇や芸能界で成功する人間がいると必ずその周辺にこういう「被害者的人物」が登場し、「思考を奪取された」「利用され、騙された」と一騒動を起こす。ただしこれまではそういうトラブルは表沙汰にはならず、愚痴や陰口、噂話の段階にとどまっているのが普通だった。しかしネットの普及によってこの種の愚痴や噂話が「公的言論」と同じようなレベルにまで到達することになった。陰口が陰口にとどまらなくなったのである。その意味では、山崎マキコも被害者かもしれない。



■匿名の野次馬どもも同罪だ!!



 そもそも大月隆寛らは、小説や芸術作品における「盗作」と「模倣」の違いすら理解していない。小林秀雄ベンヤミン等の発言を待つまでもなく、あらゆる芸術は模倣や複製から始まる。「模倣してみないでどうして創造に到達できるのか」というわけだが、しかし大月隆寛らは模倣や複製、引用、パスティシュ、あるいは他の書物を参考資料として使ったこと等を、即「盗作」と言い、「パクリだ! 泥棒だ! 」と匿名の素人たちといっしょになって大騒ぎする始末である。その文学論(盗作論)はまったく幼稚園児並みの文学論とでも言うしかない。しかも、もっとも低次元の「左翼市民運動」レベルの個人攻撃や、取材と称して自宅や子供の通う幼稚園にまで押しかけ、自宅に不法侵入した挙句、それを写真にとったり、「2ちゃんねる」に書きこんだりして嫌がらせを繰り返す。プライバシーも何もあったものではない。



 むろん、僕は、先月も書いたように、「2ちゃんねる」のような匿名掲示板による批判行為や罵倒行為そのものを否定しているのではない。ジャーナリズムには匿名による表現も必要だ。しかし限度があるだろう。むろん法律違反覚悟、犯罪覚悟の上でやっていると言うなら別である。いずれにしろ、「2ちゃんねる」であろうと匿名であろうと、法律から自由であることは出来ない。「プロバイダー法」等により、匿名でも法律的には逃げることは出来ないだろう。



 ちなみにこの田口ランディ盗作騒動に野次馬的に参加した匿名者たちには、「大月隆寛のような有名人が旗を振っているのだから、すべては許されるはずだ……」という錯覚と思いあがりがあったように思われる。大月隆寛が確信犯だとすれば、彼らは無自覚な犯罪者予備軍ということになろう。しかし、むろん無自覚だったからと言ってすべてが許されるわけではない。



■ランディ自宅に不法侵入した大月隆寛の「子分」!!



 たとえば、星野陽平という人物は、前述の本に、大月隆寛の依頼を受けてランディの自宅に「不法侵入」し、取材を強要している様子を自慢そうに書いている。



 ≪庭で佐川急便の男性が呼びかけていたところに、ランディが出てきた。猿だ。ほどなく記者の存在に気付く。一瞬のうちに驚きの表情が浮かぶ。ランディはカーキ色のパンツに黒っぽいTシャツ。
――田口さん、先ほど取材を申し出た者です。どうしてもお話を伺いたくて、宅配便の方についてここまで来ました。「なんで、ここに?」/
 驚きの表情は一転して恐怖の表情へと変わる。
――田口さん、取材に応じていただけませんか。
「取材はお断りしましたよ! 出て行ってください!  弁護士に言いますよ!」
――それは、構いません。
「不法侵入じゃないですか」
 恐怖にひきつった表情、悲痛な声に記者の顔も歪む。佐川急便のおじさんは、呆気に取られている。≫
 これが犯罪の証拠と告白でなくてなんであろうか。間抜けな犯罪者たちである。



月刊論壇誌『自由』7月号
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2ちゃんねる」が日本を救う!
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 ■「長崎少女殺人事件」が暴露したもの。



 長崎県佐世保市の大久保小学校(出口叡子校長、56歳)で起きた同級生殺人事件は、多くの問題をわれわれに投げかけているが、その一つが「ネット」や「チャット」、あるいはもっと具体的に言えば「2ちゃんねる」という問題であることは誰も否定しないだろう。  事件直後から現在まで、新聞やテレビを初めとして、いわゆる識者と言われる人たちの意見の多くも、そこに、つまり「2ちゃんねる」批判に集中している。しかし彼らの多くは、「パソコン」や「チャット」、あるいは「匿名掲示板」そのものをよく理解していないし、ましてや「2ちゃんねる」という「巨大掲示板」が何であるかを知らない。ただ、「噂話」を聞いた程度の知識で頭ごなしに批判しているだけである。
 そもそも、「2ちゃんねる」という掲示板に膨大な人が集い、虚実入り混じった様々な情報が飛び交っているという現実こそが、「2ちゃんねる」の「2ちゃんねる」たる所以である。われわれは、新聞やテレビ、週刊誌の中途半端な二次情報に飽き足らず、より現実や現場に近い「生きた情報」に飢えているのである。「2ちゃんねる」が今や日本の言論を動かすほどの力を持つに至った理由はそこにある。
 新聞やテレビ、週刊誌は問題の本質を見誤り、見当違いの「チャット」批判や「2ちゃんねる」批判でお茶を濁そうとしているが、そのためにもっとも重要な問題であったはずの、事件現場となった学校や家庭の責任問題等が黙殺され、軽んじられている。そのかわりに、あたかも学校や教職員までもが「2ちゃんねる」等の「被害者」であるかのような風潮が蔓延している。



■病院に逃げ込んだ担任教師の無責任。



 この残虐な殺人事件の被害者少女と加害者少女の二人の担任だった35歳の男性教師にいたっては、さっさと病院へ逃げ込み、一部には「担任隠し」だという意見もあるが、いずれにしろ完全に責任問題から逃避することに成功している。「2ちゃんねる」のカキコミによると、この男性教師こそが、一部の弱い生徒への「生徒イジメ」を繰り返し、そういう生徒からの苦情や批判は無視した上に、クラスの荒廃を黙認していた張本人だったらしいのだが……。  
 おそらくこれからこの種の事件が学校で起きると、担任や責任者はすぐ「入院」ということになるだろう。「責任逃れ」のいい前例を作ってくれたものである。
 今や、事件現場である学校や家庭への責任追及の矛先は、「チャット」や「2ちゃんねる」に向けられている。しかも、校長にいたっては、生徒や父兄に、「事件は早く忘れなさい!」「情報はマスコミに洩らすな!」と厳しい「緘口令」(言論統制)をしていると言う。こういうスターリン国家なみの情報統制と情報封鎖で管理しようとするからこそ、「2ちゃんねる」の掲示板が活気付くのである。つまり「2ちゃんねる」は、少年法という悪法による言論弾圧思想統制、情報封鎖という現実に対する、一般庶民の側からの「異議申立て」の一種なのである。



■「2ちゃんねる」こそ健全なメディアだ!



少年法」や「人権」「プライバシー」という「観念」の肥大化とともに従来の大手メディアは機能不全に陥っている。少年・少女の人権を守るために作られた少年法が、今や少年・少女を犯罪に巻き込む道具と化しているのだが、誰もそれを批判できなくなっている。少年法という妖怪が一人歩きしているのだ。「人権派弁護士」と言われる連中は、この悪法を利用して、あたかも「被害者少女」に事件の責任があるかのように、「加害者少女」(殺人犯人!)が次から次へと自白する「嘘」と「デッチアゲ」情報を垂れ流している。
 セカンド・レイプという言葉があるが、被害者少女は残酷に刺し殺された上に、悪質な「イジメッ子」だったかのように、本名、顔写真公開の上で断罪され続けている。被害者少女は、少年法という悪法のな名のもとに、一度ならず、二度、三度と殺され続けているのである。
 こういう倒錯した悪法がまかりとおる異常事態にマスコミは無力である。この残虐な「殺人事件」を、あたかも偶然に起きた「小学生の事故死」のように「死亡事件」と呼ぶ新聞まで登場している。そしてそのあげく「チャット」や「2ちゃんねる」への批判でお茶濁している。明らかに問題のスリカエである。



■ 「人権派弁護士」こそ諸悪の根源だ?



 しかし、それにもかかわらず、と言うべきか、それ故にと言うべきか、「2ちゃんねる」の存在意義はますます大きくなっている。そこでは、法律の網をかいくぐってでも、事件の真相を究明しようという人たちが無償で書き込みを続けている。
 今回の加害者の本名や顔写真も、新聞やテレビ、週刊誌よりも先にそこで公開された。それらは明らかに少年法に違反する行為だが、実はこういうカキコミ(公開)自体が少年法自体への批判という意味を持っている。少年法という法律を振りかざして加害者少女を守ろうとする「長崎県法務局」や「人権派弁護士」は、さっそく「2ちゃんねる」の責任者に削除依頼を出したらしいが、ほとんど効果はなかった。一部が削除されてもコピー等の技術によって加害少女の個人情報や顔写真は、すでにネットの世界に爆発的に広まってしまった後だったからだ。
 人の口に戸は立てられない。おそらくパソコンやチャット、あるいは「2ちゃんねる」的な世界にも戸は立てられない。そこを法律で規制していこうとすると言論弾圧思想統制、情報操作という異常事態を招くだけだろう。「トランジスタ・ラジオ(あるいはテレビ)から革命が起こった」ように、パソコンから革命が起こる時代に来ていると言っていい。
 それを象徴するのが今回の「2ちゃんねる」騒動だった。 




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司馬史観こそ自虐史観である。
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 ■反日的な国民作家・司馬遼太郎



 先日、我が国の「凡愚の宰相」は、所信表明演説で、国民からの「俗受け」をねらってか、今や、「昭和史・自虐史観派」の元凶とも言うべき通俗的国民作家・司馬遼太郎の言葉を引用したのだそうである。「凡愚の宰相」とその取り巻きが、いかに本を読まず、思想や学問に疎いかを象徴する「珍事」であった。



  司馬遼太郎といえば、たいへん甘い、「通俗的」な歴史小説、『竜馬がいく』や『坂の上の雲』で、国民的な人気を得た作家だが、かねがね、そのあまりにもうまく出来すぎた話を聞いたり読んだりするたびに、小生は、この作家の話には、「いかがわしい…」ものがあると思ってきた。晩年は、小説執筆をやめて、もっぱら雑誌のコラムやテレビのトーク番組に出演し、日本を代表する「大知識人」のような態度で、天下国家をおもしろおかしく語っていたように記憶しているが、小生はその種の話も、あまりまじめには聞かなかった。そもそも、歴史的事件や歴史上の人物を基準にして、現代という時代の事件や人物を批判・批評するという姿勢が、小生は嫌いである。



 しかし、司馬のような歴史小説家という人種は、いつのまにかその前提を忘れ、自分が歴史を超越した「歴史的英雄」であるかのように錯覚するらしい。司馬の「うさんくささ」の原因はそこにあった。最近、その司馬遼太郎的「うさんくささ」を受け継いでいるのが城山三郎であろうか…。



 ■少年漫画以下のシロモノでは?



 「文藝春秋」の巻頭を飾り続けた司馬の『この国のかたち』という長期連載コラムも、かなり胡散臭いものであった。自分の国のことを、「この国の…」と呼ぶ言語感覚には畏れ入るが、この言葉が象徴するように、司馬は、「昭和史」や「昭和に生きた日本人」を、冷笑的に見てきた作家である。それに対して、司馬が理想化した日本は、明治維新から日清・日露にいたる近代戦争に勝ち続けた日本であった。つまり、司馬にとっては、成功した歴史だけが語るに足る歴史なのであった。いかにも、通俗的大衆作家らしい通俗史観と言わなければなるまい。こういう通俗的な史観の持ち主が、とんでもない過ちを犯すのは当然であろう。司馬は、昭和史の大事件の一つである「ノモンハン事件」を小説に書こうとして資料を集めるが、膨大な資料を集めた後で断念したと言う。なぜ、断念したのか。
昭和一四年に起こった「ノモンハン事件」(ソ連側から見た「ハルハ河戦争」)とは、日本陸軍が、ロシアの近代化された機械化部隊の前に、無謀な作戦を強行し、あっけなく大敗してしまった、と言われてきた事件(戦争)である。司馬は、その通説を鵜呑みにして、「これは小説にならない…」と判断したのだ。しかも、司馬は、この事件を、日本陸軍の愚劣さを象徴する事件であり、太平洋戦争という暴挙へと突き進む日本軍の無謀な戦争の原点であったと見なす。
 しかし、驚くなかれ。ソビエト崩壊後、ロシア側から公開された公文書・機密文書によると、ノモンハン事件は、必ずしも、日本の一方的な惨敗ではなく、むしろ互角以上の闘いだったということが明らかになった。いや、ソ連側の機密文書を正確に読むと、この事件・戦争におけるソ連側の損害(戦死者25,565人)は、日本側の損害(17、405人)を大きく上回っていた。実は、ソ連軍の大敗北だった…というのが真相に近いというわけだ。(くわしくは、鎌倉英也著『ノモンハン隠された「戦争」』NHK!出版、小田洋太郎・田端元著『ノモンハン事件の真相と戦果-ソ連撃破の記録』有朋書院…などを参照)
 つまり、司馬に、「これは小説にならない…」と思わせた資料とは、独ソ戦を控えて、「ノモンハン事件」の大敗北という事実を隠蔽したいスターリンが展開した国際的なデマ宣伝の陰謀と、満州における不拡大方針をとる日本軍参謀本部の事実誤認に基づく「誤報」だったということである。
 司馬は、なぜ、こんな誤報にもとづくいい加減な資料を鵜呑みにしたのか。それは、司馬の小説の作り方そのものに原因があった、と言わなければならない。司馬にとって、「負けた戦争」は、すべて書くに値しない「愚劣な軍隊」の「無残な戦争」にすぎない。つまり、結果論的に言えば、明らかに「負け戦」だった「大東亜・太平洋戦争」は、小説に書くに値しない愚劣な戦争であったはずだ…という独断と偏見である。
 それにしても、「負け戦は小説にならない…」という司馬の幼稚な文学的センスにはまったく、驚きあきれるほかはない。



 ■司馬遼太郎的「小説」の限界



 司馬は、多くの資料を集めると同時に、事件の現場にいた軍人たちにも取材したようであるが、司馬の「自虐的昭和史・史観」を覆すことはなかった。
 いずれにせよ、司馬には、歴史資料や生存者の発言や記憶を鵜呑みにして、その裏の裏を読む能力が欠如していたというほかはない。司馬の歴史小説が少年漫画以下のシロモノではないか、というのはそういう意味である。
 司馬の歴史観や人物論は、戦後民主主義的な価値観を前提に成り立っている。ロシアやアメリカの科学的な合理主義に対して日本の愚鈍な非合理主義という思考図式である。つまり、司馬史観とは、素朴な「技術合理主義史観」にほかならない。
 ところで、 丸谷才一によると(「ゴシップ日本語論」「文学界」9月号)、司馬は、小林秀雄に対しても批判的だったそうである。むろん、小林秀雄を批判することが悪いというわけではない。ただ、ここまでくれば、司馬遼太郎という作家が、どういう思想的立場の人間だったかは一目瞭然だろうというまでのことだ。司馬に言わせれば、小林秀雄三島由紀夫も、恐らく「狂人」にすぎなかったのだ。司馬の歴史小説の底の浅さは象徴している。




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「反米保守」は戦後左翼思想の焼き直しである。
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■保守は感性である。



橋本政権が誕生した日、小生は、銀座の三笠会館で、江藤淳さんと対談(インタビュー)していた。話のテーマは、小林秀雄正宗白鳥の「思想と実生活論争」だったが、長時間の対談であり、しかも時期が時期だっただけに、しばしば政治や政局の話になった。そこで、江藤さんが言われたことで印象に残っている言葉ある。それはこういうものだった。
≪自分の政治評論は、あくまでも文芸評論家の政治評論であり、それは文芸批評の一部である.。政界の裏情報や、国際政治の新しい情報などを掻き集めた政治評論家や政治学者の政治評論とは違う…≫と。
 予想通りの発言で別に驚かなかったが、あれほど政治や政治評論に入れ込んでいた江藤さんの口から、そういう言葉がストレートに出てきたのは意外だった。たしかに、吉田茂批判や宮沢喜一批判、あるいは小沢一郎擁護論から占領政策の検閲問題にいたるまで…、江藤さんが取り組んだ政治評論は、いずれも江藤淳ならではの政治評論ばかりであった。そこには江藤淳という思想家・批評家の資質と才能が遺憾なく発揮されていた。それは容易に余人が代行・反復できるような凡庸なものではなかった。江藤淳の政治評論の特質は、常に肯定・擁護する一面を併せ持った政治評論だったことだろう。そこには現実政治への責任感覚があった。つまり、昨今の保守論壇に氾濫している付和雷同型の軽薄な保守思想家たちとは無縁なものがそこにはあった。逆に、昨今の保守論壇に蔓延しているのは、ステレオタイプ化された言論のオンパレードであり、その必然的な帰結としての保守論壇の「左翼論壇化現象」である。具体的に言えば、保守思想家たちの「集団主義化」「徒党化」「教条主義化」である。そこで失われつつあるのは、いわゆる「保守とは感性である…」という江藤淳的な保守であろう。



■「反米保守」は左翼思想である.。



 たとえば、「反米」「反北朝鮮」「反朝日」「反人権」と二、三回も唱えれば、「あなたも今日から保守思想家…」というような安直な保守思想家の養成システムのようなものができあがりつつあるが、これこそが、戦後日本の思想風土を支配し続けてきた左翼の悪しき思想的システムであった。
 ところで、保守陣営の間で反米派と親米派の対立が激化しているようである。むろん、それは歓迎すべき事態であると小生は思う。言うまでもなく、この対立を露呈させたのは、「9・11テロ」であり、そしてその後のブッシュ政権の「新しい戦争」理論に基づくテロ国家に対する「先制攻撃論」、つまりブッシュ・ドクトリンであった。つまり、アメリカという国家が、その覇権主義的・帝国主義的な国家暴力を前面に打ち出し、戦争と言う過激な選択をした時、それにどう対応するか…という問題によって発生した対立であった。
 たとえば、小林よしのり氏は、「大東亜戦争肯定史観」にもづいて「反東京裁判史観」を強力に主張し、結果的に激しい反米保守派のイデオローグになっている。それを背後で支援しているのが、同じく反米保守の立場に立つ西部邁氏等であろう。
 保守派・民族派が、反米に傾斜しやすいのは仕方がない。それは、きわめて自然な流れである。ソ連邦の解体や東欧の民主化によって、東西対立の構図がくずれ、逆にそれに代わって経済問題という限定はあるものの、新しい対立軸として「日米対立」が表面化し、それが激化するにつれて「親米保守派」が後退し、「反米保守派」が台頭してきたことも当然であった。しかし、小生は、「反米」「反米」「反米」と叫び、アラブ・テロリストへの連帯まで表明するに至った小林よしのり氏等の最近の言説には、微妙な違和感を禁じえない。そこには明らかに思想的錯誤と政治的欺瞞がある。



 ■反米は覇権国家アメリカへの甘え(依存)だ!



 たしかに「反米保守」「自主独立」「自主防衛」、あるいは「核武装論」などは、政治的論理として見れば、理路整然とした、一貫した思想体系のように見える。しかし、その一見、理路整然としているかに見える,美しい思想体系に欺瞞が隠されている。
 それは、たとえば、戦後左翼の「反戦平和主義」や「自主独立論」、あるいは「人権擁護」や「環境保護」というような、誰もが反対できないような美しい言葉の内包する欺瞞性に通呈するものがある。「自主独立」「主体性の確立」、こういう美しい言葉に潜む自己欺瞞である。
 そして、今、「反米」「反米」という声を耳にする時、小生は、かつての「ベトナム反戦」、つまり「反米的平和運動」を連想する。当時と今とでは、世界の政治状況が違うから、今の反米と当時の反米を同一視することはできないことは確かだ。しかし少なくとも、小生は、今でも単純素朴な反米という言葉には違和感を禁じえない。
 つまり、反米の思想には、安直な「自主独立」幻想がある。日本は独立国家ではない、アメリカの属国だ…という日本属国論もその一種だろう。しかし、彼等の考えるような自主独立国家が、いったい何処かにあるのだろうか。あるいは、そういう自主独立国家が容易に可能なのだろうか。フランスやドイツはそういう国家だとでもいうのだろうか。
 反米=自主独立は美しい言葉である。しかしそこには国家と国家が対立・抗争する国際情況への認識論的錯誤と甘えがある。アメリカと一戦を交える覚悟のないところでの反米も自主独立も、所詮はアメリカという世界の覇権国家への甘えに過ぎない。
 かつて、反米=自主独立を旗印に、「60年安保」闘争を指導した西部邁氏らの世代は、闘争が終ると、競ってアメリカに留学し、アメリカニズムの宣伝係りに変身した過去がある。この事実を忘れてはならない。





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山崎行太郎
1947年生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒。同大学院終了。東工大講師を経て、埼玉大学講師。日大芸術学部講師。朝日カルチャーセンター講師。文藝評論家。作家。『小林秀雄ベルグソン』『小説三島由紀夫事件』その他。「月刊日本」に「文藝時評」を、月刊「自由」に「平成・文壇・血風緑」を連載中。
山崎行太郎=website=毒蛇通信<< November,2006
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