竹崎博允最高裁長官と江田五月民主党議員

最高裁長官の竹崎博允は、伏魔殿、最高裁事務総局のもとトップ

2012-05-16 | 小沢一郎
47ニュース より
http://www.47news.jp/CN/200810/CN2008102801000993.html


過去の記事より

最高裁長官に竹崎博允氏 裁判員制度で異例抜てき

2008/10/28 23:59 【共同通信


 竹崎博允

 島田仁郎最高裁長官(69)が(2008年)11月21日に定年退官するのに伴い、
後任の第17代長官に竹崎博允(たけさき・ひろのぶ)東京高裁長官(64)が就任する人事が28日までに固まった。
麻生太郎首相が島田長官と面会して意見を聴いた上で、31日にも閣議で正式に決定する見込み。

 最高裁判事からの“昇進”ではなく、14人いる判事を一挙に追い越しての長官就任で、
1960年に第3代長官になった横田喜三郎氏以来の異例の抜てきとなる。

 任期は定年(70歳)の2014年7月までで、
来年5月の開始を控えた裁判員制度づくりに関与し、
司法行政の経験も豊富な竹崎氏に長期間の運営を任せ、
新制度の定着を図ることが最適と判断したとみられる。

 最高裁長官の交代は06年10月以来、約2年ぶり。
裁判官出身の長官就任は9人連続となる。

 竹崎氏は岡山県出身で、東大卒業後、1969年に判事補に任官。
主に刑事裁判を東京地裁などで担当した。
最高裁総務局第1課長や東京高裁事務局長、名古屋高裁長官などを歴任し、昨年2月から東京高裁長官を務めていた。

 88年には陪審制度の調査研究のため、最高裁から米国に派遣された。
司法制度改革審議会による裁判員制度導入の提言から04年5月の裁判員法成立までの過程で、最高裁経理局長や事務総長として主導的な役割を果たした。

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【私のコメント】

日本の裁判所を実質的に動かしているのは、最高裁事務総局である。
最高裁の奥まったところにある影の存在、伏魔殿である。
彼がそのトップである最高裁事務総長の座にあったのは、2002〜2006年まで。ほぼ小泉政権下と重なる。
この影の存在が最高裁長官という表に出てきた。

彼が最高裁長官に就任したのが2008.11月、
その4ヶ月後には小沢氏秘書の逮捕劇(2009.3月)が始まり、
そして小沢一郎に対する検察審査会の強制起訴(2010.10月)が行われた。

検察審査会の議決が法的強制力を持つという現在の検察審査会法の改正は、
2004年に行われ、2009.5月より施行された。
2004年と言えば、竹崎博允最高裁事務総局のトップの時であり、
2009.5月は彼が最高裁長官に就任して半年後である。
そして2010.10月には、小沢一郎に対する検察審査会の強制起訴が行われた。

翌年2011.1〜9月までの法務大臣は反小沢で知られる江田五月である。
江田五月竹崎博允は同郷(岡山)であり、小・中・高校の同窓であり、東大法学部まで一緒である。
これで行政面と司法面の両方から小沢攻撃を仕掛ける体制が整った。
こういう中で2011.9月には登石郁朗裁判長によって小沢元秘書3人に『推認』判決が言い渡された。『推認』によるデタラメな有罪判決である。

彼の権力の基盤は、アメリカに派遣されたことがあるところから、アメリカとのパイプにある。
アメリカのエージェントとして出世階段を上ってきた男である。
彼が最高裁事務総局のトップとして采配を振るったのは、小泉政権という親米政権の庇護の元である。

そして民主党の勢いが強まると、対米自立を唱える小沢一郎に対して、姑息な司法的手段で小沢一郎の追い落としに最高裁長官として荷担したのだ。



(竹崎博允最高裁長官と江田五月民主党議員)

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